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「塔」の古いバックナンバーを見ているのだが、内容ではないところに、いろいろと立ち止まらされる。

たとえば、1962年の1月号。前年に亡くなった坂田博義について、高安国世が巻頭に書いている。

誌面の色に注目してもらいたい。右側は表紙の裏で、アート紙を使っているから白いのだが、左側の本文用紙は黄ばむというか、セピア色というか、かなり茶色く変色している。いわゆる「酸性紙」が使われているとこうなる。まだ、いまの段階ならばページをめくって読むことができるが、このさき劣化が進むとどうなるかわからない。
古文書は虫食いが問題になるが、近代の、工業的な薬液を使って作られた紙=硫酸紙は、寿命は50年前後だという。
 

〈緩慢なる炎〉をわれも持ちおらむ紙片のことく毀(こぼ)るるなにか/白石瑞紀『みづのゆくへと緩慢な火』

 
書庫の奥のほうで、静かに、ゆっくりと書物の劣化が進む。これを「緩慢な炎」として、さらには比喩として印象的に一首にしたのが白石さんの作品。

なぜ、1962年1月号を持ってきたのかというと、誌面のひどい劣化はここまでだから。次の2・3月合併号(この頃はしばしば2・3月が合併号になった)の、「坂田博義追悼号」の用紙は概ね白いまま。黄ばむというほどの黄ばみはない。

「坂田博義追悼号」から誌面(の状態)が刷新された……ということに、なにやら意味を感じてしまうところもなきにしもあらずだが……

1962年1月号の印刷は西村信天堂。2・3月号も印刷所は変わらないが、用紙について、何かやりとりがあったのかどうか。あるいは、たんに工場から出荷される紙の品質が変わったのか。

そんなことも思いながら、大切にページをめくるのであります。

 

 

森尻理恵 にコメントする コメントをキャンセル

  • 森尻理恵 より:

    脱酸処理というのを図書館ではかなりお金をかけてやりますよね(うちの資料室でもやっています)。国会図書館でやってくれていることを願うしかないですね。
    50年前の青焼き地質図をディジタルアーカイブするとき、スキャナーでスキャンをしてphotoshopでレベル調整をします。薄れて読めないメモ書きが浮かび上がってくると、ちょっと感動します。

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