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アーカイブ "2021年08月"

中学校では吹奏楽部、高校・大学ではオーケストラと、学生時代はずっと音楽系の部活に入っていました。
それで好きになったのが写譜です。

元々、中学校のときの顧問の先生の方針で、常に写譜をさせられていました。
なかなか時間がかかって面倒くさい作業ですが、そのうち、「いかにきれいに読みやすく書くか」に凝りだして、いつの間にか工夫して写譜をするのが好きになっていました。

その経験が役に立ったのが、大学オケ時代の演奏旅行です。
演奏旅行の話は、3年前の「夏と言えば演奏旅行!」という記事に書いています。
その時に、

 それと、ご当地の民謡や市町村歌などを演奏することもありました。
 これらは団員の編曲担当者が必死に、ほぼ一晩でオーケストラ用に編曲して、
 それをまた団員も、ほぼ初見で演奏していました。

と書いていますが、この編曲担当者が書くのはフルスコア形式、つまり全ての楽器(パート)が含まれている形式なので、実際に演奏するには、各パート譜を作らなくてはなりません。
そのため、担当者が書いたスコア譜をコピーして、そこから自分たちのパートの箇所だけを五線譜に写し取っていくのです。
スコア譜が出来上がってくるのは、大抵当日の朝(早くても前日の夜)なので、大急ぎで写譜を行ってパート譜を作らなくてはならないのです。
でも、急いでいるからといって乱雑に書いてしまうと、演奏する人が一発で読み取れず(ときには間違った音に読み取っていまい)、演奏に支障を来してしまいます。
なので、急いで、かつ非常に神経を使う作業ではあるのですが、ここは中学生のころからの「写譜好き」が功を奏して、私は比較的楽しんでこの作業を行っていました。
少しでも役に立てると思うと、うれしかったです。

私の好きな本の一つに、亡くなった指揮者の岩城宏之さんが書いた『楽譜の風景』(岩波新書)という本があるのですが、この最初の章はほぼ全部写譜の話で、とても面白いです。
その中に、浄書業(写譜業)の賀川純基さんの話があります。

 写譜がきれいで正確だと、非常に読みやすい。
 オーケストラのメンバーが余計なことに神経を使うことがなく、音を出すことに専念できるので、
 賀川さんの写譜だと、賀川さんの美しい音がした。

この文章に出会ったのは、おそらく大学に入ってからですが、だいぶ影響されたような気がします。
ちなみに、「社会契約論」で有名なJ.J.ルソーが写譜屋をしていたことも、この本で初めて知りました。
(あの「むすんでひらいて」を作曲したのもルソーです。)

写真は、我が家に残っていた、大学時代に写譜をした譜面です。
まあまあきれい、かな?
今では写譜をすることは全くなくなってしまいましたが、演奏旅行をしていた夏が来ると、ときどき懐かしく思い出します。

コロナウィルスの感染拡大がなかなか収まらない中、不安を抱えたままの日々を過ごしている方も多いかと思います。
いつもならこの時期に行われていた塔の全国大会も2年連続で中止。
その代替として開催を予定していた「河野裕子没後十年シンポジウム」も中止を余儀なくされました。
全国の会員のみなさまとお会いできる貴重な機会が次々となくなってしまい、寂しくつらく思います。
「2年前の京都での全国大会では、あんなことがあって、こんな人とこんな話をして…」と、つい思い出してしまいます。

その代わりとして、元々シンポジウムを予定していた9月12日(日)に、塔では会員の方を対象として
 オンライン授賞式、記念座談会、交流タイム 
をZoomミーティングを用いて行うことになりました。

詳しい内容&申込は、こちら、及び塔8月号p.20をご参照ください。
まだまだ絶賛受付中です。
 第1部 授賞式
 第2部 記念座談会
 第3部 交流タイム
となっていますが、参加できる時間帯だけの参加でも構いません。
もちろん、全部参加していただくのは大歓迎です。
多くの会員の方のご参加を心よりお待ちしております。

ここでは第3部の「交流タイム」について、少しご案内します。
(実は、私が司会進行を担当しますので、その宣伝でもあります。)
この交流タイムでは、1月の新年会のときにも好評だった「選者にききたい」というコーナーを設けます。
今回は、選者から永田和宏さん、前田康子さんにご参加いただき、参加した会員からの「あんな疑問」「こんな質問」に次々答えていただきます。
聞きたいことがある方は、申込の際の「申込フォーム」に質問を記入する欄がありますので、そこから質問をお願いいたします。
あなたの質問が命! のコーナーですので、どしどしお寄せください。
(全ての質問を取り上げられないことがあります。予めご了承ください。)

この「選者に聞きたい」、以前は全国大会の名物(迷物?)コーナーでした。
私の記憶だと、2012年の大阪での全国大会のときから数年おこなったのではなかったかしら。
1日目の受付のときに会員からの質問を受け付け、それを永田淳さんが独断と偏見で(?)選んで壇上の選者(だいたい5名くらい)にぶつけて答えてもらう、という感じでした。
リハーサルとか、事前に質問内容を知らせるとかは一切なく、全くのぶっつけ本番。
ときには、選者によって見解が全然違ったりして、相当に面白いコーナーでした。

今回、その時のように面白いコーナーにできるか、全く自信はありませんが、できるだけ盛り上げたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

写真は全く関係ありませんが、今年漬けた梅はちみつサワーです。

左側が1986年にアメリカで購入したペンギンブックの
日本の詩歌のアンソロジー(『The Penguin Book of
Japanese Verse』で、初版は1964年。右側のは、2009年に
刊行された改訂版で、数年前、ネットで購入しました。
万葉集から現代詩まで、とにかく盛り沢山の内容です。

改訂版は四十頁も増えていて、特に現代詩の分野で新たに
数人の詩人が加えられているのが、目につきます。選択の基準は
よくわからず。例えば旧版にも登場するTAKENAKA IKU とか。

古い角川文庫の現代詩人全集全十巻を捲ってみて、ようやく
竹中郁という名前を見つけました。この詩人の作品は四篇も
掲載されている。 一方、宮沢賢治は一篇のみ!

平安期の歌人、紀貫之は「KI TSURAYUKI」になっている!確かに
姓は紀(き)だけれど、日本人は間に「の」が入らないと「え?」
って、思っちゃうよね。改訂版でもそのままだった。
さて、短歌はどんなふうに訳されているでしょう。啄木の作品は
13首も紹介されている。きっと訳しやすいのでしょう。

  Working, Working.
  Yet no joy in life,
  Still staring emptily
  At empty hands.

この歌はもとの歌がすぐにわかりますね(わかりにくいのもある。
あんまり有名でない作品が訳されている場合も多いので)。
「楽にならざり」が「no joy」ではまずいんじゃないかな。
もっと生活に余裕のある人が、生きがいや生きる楽しみを
見つけられず嘆いている、みたいに聞こえるけど。どうなんだろう?

と、とにかく突っ込みどころ満載で、なかなか面白いのです。

ワラビーはカンガルーの仲間ですが、写真に写っているのは、
主にオーストラリアの東海岸に生息するSwamp Wallabyの子供たち。
日本ではオグロワラビーなどと紹介されている動物です。
体高1,4~1,7mくらいまで成長するらしい。

この写真は実は、シドニーの動物園内の売店で購入した
『Australia’s Animals』という本の表紙です。売店には
他にも同種の本が並んでいたのですが、このワラビーたちの
愛らしさに魅了されてしまった私は、迷わず購入。
写真満載で、また日本ではあまり紹介されていない、南半球に
生息する各種の動物たちの生態が綺麗な写真入りで紹介されて
いるので、ことあるごとに目を通しています。

シドニーの動物園の素晴らしかったことは、キウイなどという鳥類や
カモノハシのほか、コアラ、フクロモモンガなどの様々な有袋類など。
珍しい動物に沢山出会えた、ということ。さらには、
とにかく広大で、動物たちが自然に近い環境で飼育されていたこと。
歩いて見て回ったので、すっかり疲れてしまいましたが。

その後は、日本の動物園の狭さに、痛々しい思いを抱くことが
多くなりました。人間だって、随分と狭いところで
我慢しながら暮しているんだけれども。飛んだり、跳ねたり
が得意な動物はさぞ、辛いだろうなあ。

  動物園に行くたび思い深まれる鶴は怒りているにあらずや
                伊藤一彦『月語抄』

最近はまっているお菓子、ポルボロンです。
スペインのアンダルシア地方の伝統菓子だそうで、小麦粉を
色づくほどに焼いてから用いることでグルテンがなくなり、
砕けやすさ、もろさ、といった食感が楽しめるのだとか。
お皿にころころと転がるほどの丸い小ぶりの形とか、
口にした時にほろほろと柔らかく崩れる様子とか、まさに
ポルボロン、擬音がそのまま名前になっているような愛らしさ。

でも吉田菊次郎『万国お菓子物語』によると複数形があるのです、
って、スペイン語なんだから当然なのだが、複数形はポルボロネス。
たちまちギリシャの哲人が出現したような気持ちになったのは私だけ?

ちなみに私が一番よく購入するこの写真のものは、「ポルボローネ」
と表記されていて、私は最初、あれ、スペイン語の複数形をフランス風に
読んじゃったからかな(仏語では最後の子音を発音しない)と思ったの
でしたが、単にスペイン語の読み違えのまま伝わったからだそうです。
ポルボロンよりもやや改まった、上品な感じがしますよね。

こんな小さなお菓子も、単複、わかれているんだなあ、となにやら
感慨深い気持ちになったりもして・・・。
スペインでは、たとえば小さな子供と
「ポルボロン、あげるよ」
「いやだ、ポルボロネスにして!」
「今日はダメ。ポルボロンで我慢しなさい」
なんて、会話も成立するのか。
日本語の単複のおおざっぱさが、ここではありがたい気もしたり。

  日本語に単数複数あいまいなことゆかしくて雨のあぢさゐ
                   栗木京子『しらまゆみ』

以前にもこの欄で紹介した、我家の近辺(多摩)に自生する百合です。
十数年前までは八月下旬に開花していたのですが、年々早くなり、
今年は八月上旬に満開となりました。で、庭に出てみると・・。

なんと百合をジャンプ台にした蝉がいたらしい。それも複数・・・。

こちらはまだ咲きかけの、か細い百合。蝉に言い寄られて、イヤイヤ
してるみたいですね。我が家の庭は狭く、すぐ近くに柿の木があるのに
どうしても百合の花に寄り添いたかった、みたいな蝉。
あるいは、とにかく早く羽化したかったのかなあ。
色々な形に、音に、仕草に。林で、野原で、町なかで。
蝉の、鮮烈な命の営みがほとばしる、日本の夏。
「盛夏」を力強く印象付ける、立役者のひとりにちがいなく。

  ふるはせてふるへて蝉の渾身がいのちのみづを絞り出しゆく
                 梶原さい子『ナラティブ』

岡部史です、こんにちは。今朝は五時過ぎにスマホの緊急警報が
二度も鳴りました。豪雨による土砂災害危険区域が近くにあるのです。
皆さんのお住まいの所では、如何でしょうか? もうこれ以上の
被害がありませんよう。祈るばかりです。

気分が少しでも変わるよう、花の話題を。写真は二か月近く前、
庭に咲いたアガパンサスです。南アフリカ原産。名前の由来は
ギリシャ語のアガペー(愛)+アントス(花)の組合せからだそう。

 きみが好みしアガパンサスが花つけぬ去年は四本ことし三本
                小池光『思川の岸辺』

今は施設にいる私の母も大好きで、我が家のこの花も母が移植して
くれたもの。でも、これだけの大きな花を長い茎が支えているので、
根の方を見ると、まるで巨大な蛸が、のたうっているようなのです。
植物の底力を感じます。

あちこち豪雨がつづく。風も強い。
避難が必要になる場面もあるかもしれません。気を付けてお過ごしください。

風も強いので、停電とか、それに伴う断水とか。

   *

とりあえず、安全な場所で古い書物などをぱらぱらめくる(でもないのだが、目を通すべきものに目を通したり)。

なんだこれは……と、笑いつつ、しみじみ味わう。こういうこと、あったなあ。

   うんこの賦          中河幹子
みどり兒の便(つうじ)よろしくこの日ごろ母はうれひのなきこゝちすれ
消化よき黄なるうんこの美しさ言わかぬ子にほめてきかしつ
みどり子を抱きあるきつつうれしけれさはやけき夏のあしたの庭を

歌集には収録されていない。掲載は「主婦の友」(昭和4年8月号)であるらしい。
「言(こと)わかぬ」は〈言葉を理解しない〉ということだろう。

ちゃんと出るものが出るのはよいことだ。大人もいろいろ悩む。
 
ところで、『中河幹子全歌集』の年譜を見ていたら、昭和5年にこんなくだりがあった。

七月、赤坂山王下「幸楽」で白秋会出席。近くに家を借り「ごぎやう託児所」を設ける、女性が時間を得るためなり。十四日「家庭婦人と短歌」と題してラジオ放送す。

「ごぎやう」は作者が所属していた短歌の雑誌。

かつてうちの子どもたちがちいさかったころ、全国大会に託児室をつくって、子連れで参加しやすくしようとしたことがある。その後、長く続いたが、子ども連れで参加しようという人が少なくなって、ちょっと中断の状態だったか。去年も今年も全国大会そのものを断念。集まることができていない。
短歌会の託児所というのは「塔」が初めてのことじゃないか!?などと思っていたが、そうでもなかった。常設?というのもぜんぜんレベルが違う。

もっとも「ごぎやう託児所」は歌人のためというよりは、社会活動に近い様子。ではあるが、たぶん上記掲出歌に登場する子を抱えて、自身の文業と両立させるためというものあっただろうか。
当時のことを思えば、女中さんに子守をまかせるというほうが一般的だっただろうけれど、そうではなく(おそらくかなりの私費を投じて)「託児所」を開設したわけだ。

翌年昭和6年の作品。「ごぎやう」掲載のはず。

託兒所に子らがたのしくうたふ聲わか仕事する部屋にきこえ來

90年ほど前のことである。

雨になるだろうという朝。
クマゼミの声に雨?と思ったらまだ降り出していなかった。

が、ほどなくして降り出す。音を立てて降っている。

ト音記号を最後に書きしはいつなりしか広げし白紙に雨音ひびく/河野裕子『体力』

雨音は、概ねト音記号の音域。
雷鳴は、とくに遠雷はヘ音記号であらわすような低音域か。

8月12日は河野裕子さんの命日だ。

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