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アーカイブ "2017年02月"

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「天網」というのは、悪人や悪事をのがさないように、天が張りめぐらした網のことで「老子」に出て来るが、近年ではこれを「インターネット網」のこととして言及されることもあるが……と思いながら、坂井修一さんの子の作品も、既に20年以上前のものだったのかと、すこし感慨深い。

英雄の尿(いばり)のごとくかがやくは天網かはたインターネット/坂井修一『スピリチュアル』

デジタルの、しかもどこでも接続できる携帯電話であったり無線LANであったりというのが当たり前になってきたが、それ以前の、通信手段といえば「電話」であった。ふだんの生活と関係するのは公衆回線網であり、同じしくみで通信経路を固定した専用線上に、役所や銀行のシステムが構築され、テレビ局の中継通信なども行われた。

市内の電話回線は電柱にかけた電線。中・長距離はマイクロ回線。

太い網のつなぎ目が鉄塔(のある建物の中の設備)。細かい網は町の中の電柱を張り渡した電線の束で、ところどころに電線を繋ぎ合わせるボックスなどが吊られていた。

マイクロ回線というのは、無線。無線というと、どこでもつながるような印象があるけれど、大容量の通信を行うためには、基本はパラボラアンテナとパラボラアンテナが対向する必要があるから通信経路は直線。その直線を中継局で中継してゆくことになる。

電話局には大きな鉄塔が立って、その上に所せましと巨大なパラボラアンテナが、あちらこちらを向いていたのだ。

こういう鉄塔があることが、役所か電話局の目印のようでもあった。

いま、高速・大容量の回線は、ほとんどが地上(といっても、たいてい地下だが)光ファイバーによるものとなった。だから鉄塔の上のパラボラアンテナもおおかた撤去されて、携帯電話網のための鉄塔と化しているものが多い。

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ところで、電話網や電話局の作品を拾っていたら、こういうものも見付けた。1962年の歌集。

窓透きて立つ電話局夜のふけを自動交換の灯が点滅す/高安国世『街上』

電話回線網の草創期は、人手による接続。電話交換手(多くは若い女性)に口頭で呼び出し先を告げてつないでもらうしくみ。これが日本では関東大震災以降、大都市の市内回線が自働交換機に置き換えられてゆく。
自動交換機もいくつか世代があるようだが、市外通話も含めて自動交換機による接続が完了するのは1970年代の後半だという。

「自動交換」などというところに関心がゆくのは、まだ新鮮なことだったのだろう。

それと、こういった機械の稼働が、窓から(ブラインド越しに?)見えるというのは、長閑な時代だったのだとも思う。

通信網のような重要なインフラは、耐震性のある建物の、窓のない部屋や地下室で厳重に運用されていて、こんなふうに目に触れることはほとんどない。

   *

「老子」のそれは理念としてのそれ。だが、情報網をいかにかいくぐるかということが地上勢力の「戦場」にもなるし、秩序を保たなければいけない立場にしてみたら、監視しなければならない、という考え方も出て来るものだ。是非や効果は別問題だが。

「窮鼠」というのが出て来たら、まずほとんどすべて比喩である。もともと立場の弱い者が、立場の強い者に対して一矢報いるというような。とはいえ、捨て身の戦いであるから窮鼠が猫を噛んで、その一場面を切り抜けて生きのびることができるとは限らない。
よくあるのは職を辞して、しかしその原因をつくった上役の悪行を、どこかで露呈するように工作してゆくような場合。理をつくし真正面からやりこめたなら立派なことだが、なかなかそういうことにはならない。会社の中だけでなくて、元請・下請けの関係などでも、いろいろとある。

勤めいし三十年の間には窮鼠が猫を幾度か咬みき/三井修『薔薇図譜』

三井さんは、咬むほうだったのか。咬まれるほうだったのか。あるいは横で見ていたり、事態の収拾にあたる立場だったか。

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ところで、先日、早朝のランニングをしていて出会った場面を3枚貼る。これも動画から切りだしたので画質は粗い。

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まだ若い猫だろうか。私が見ていることを気にして集中力散漫というのもあるが、ドブネズミの「ねこだまし」に、ていよくやられて、とりのがす一部始終である。

こうやって見ると「窮鼠」という印象ではない。かなり対等に戦っている。

ネズミもいろいろだが、ドブネズミあたりになると、かなり手ごわい。1匹なら、こんなかんじだが、何匹かいると、ネコのほうが負けてしまいそうだ。

どぶ鼠に猫くはれしといふ話けふ何よりも感動したり/二宮冬鳥『靜黄』

あなおそろし。

感動している場合でもないのかもしれない。

ランニングのコースの一つにしている近所の川の河川敷。この日は走るのではなく歩き。まだ明るさの残る夕暮れの草地に、ふと見ると何かがごそごそやっている。

猫ほどの大きさだが、どうも猫とはちょっと違うような感じ。
こちらをちらりと見て、しかし、驚いたふうでもなく、のそのそと迷惑そうに水に入って泳いでいった。

しまったという顔でないヌートリア岸に上がって我に出あって/池本一郎『萱鳴り』

まことに、そんな感じ。

「ビーバー!」と言うひとがいるが、ビーバーはもっと尾が幅広い。「カピバラ!」と言うひとがいるが、カピバラは顔がでかい。

動画からクリップしたので画像は粗いが3枚ほど。

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大島史洋さんの『四隣』の「ヌートリア」5首は、これはなかなか大袈裟で面白く、しかも切ない。

木曽川の河川工事に追われつつヌートリアは北上すわが故郷へ
ヌートリアの興国の祖は五十年前毛皮となるため拉致されて来し
帝国の裔に生きつぐヌートリアその面立ちは種を守りたる
ヌートリアわれらと戦後を共にしていま木曾川をさかのぼるとぞ
五十年ひそみつづけてたくわえし力はふたたび弾圧されむ

日本に連れてこられ、野性化して、それが話題になるほどに増えるのに、そのくらいの時間がかかったのか。それはまさしく戦後という時間であったのだ。

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昨日の読売新聞朝刊の詩歌コラム「四季」(長谷川櫂)に、
河野裕子さんの歌が引かれていました。

描きあげし円の縁(へつり)にしやがむ子よずつと前一度そこにゐたやうに

第5歌集『紅』の巻末歌です。
円を描くと言えば、第3歌集『桜森』の

しらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす

も有名ですね。

京都・河原町の「ギャラリー古都」で開催中の竹田武史写真展「バーシャ村の一年」は2月28日まで。

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タイトルの「一年」というのは「春夏秋冬」という意味。

中国の奥地での、さまざまな取材を重ねて来た竹田さんの、とくに繰り返し訪れ、長い期間そこに滞在して村の人と生活をともにしながら撮影してきた自然と文化、人々の表情。「桃源郷」とも言える自給自足の村も、次第に貨幣経済に呑み込まれてゆく。その直前の貴重な記録でもある。

ふりかえって思えば、私たち日本人の暮らし方もずいぶん変わってきた。好むと好まざるとにかかわらず、さまざまなものを失ってきたのだろう。そのいっぽうで、芯の部分には変わらないものもあるのだろう。さらに言えば……と、いろんなことを考えさせられる。

稲作の原風景というところにも興味はつきない。
稲は餅稲というこだが、田植するときの、苗がかなり大きい。
稲刈りは、穂にちかいところから刈り取る。

そういう細かいところを見るのも面白かった。

午後からは、永田家で再校・割付作業でした。
清水さんのパン、竹尾さんのスイートポテト
おいしくいただきました。ありがとうございました。

すこし早めに失礼して、近くのバス停から国際会館駅へ。
また育メンに戻ります。。。

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ひさびさに、いいお天気。
午前中のあいだに、わが子を連れて
御所へ出かけてみました。

はじめて靴をはいて、外を歩かせました。

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 ブックカバーや栞をいただくことがあります。
 ポップな手作りだったり、古い着物を仕立て直してくださったり……。

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 それで、気付いたのですが、そのカバーのイメージが、いつしか本のイメージと重なってくるんです。つまり、あとでカバー無しでその本を読んだときにも、カバーの柄がちらつくといいますか。

 今は、ブックカバー自体に、文芸作品が掲載されていたりもしますよね。 
 ブックカバー。いつ頃からあるものなのでしょう~

曇天のやうな薄紙はがしつつ復刻本をさはる、みる、とづ
                        前川佐重郎『天球論』

卓上の本を夜更けに読みはじめ妻の挟みし栞を越えつ 
                        吉川宏志『夜光』 

 まったくもって私事ですが、数日前に弟が結婚しました。
 姉が言うのはなんですが、あたたかくて楽しい披露宴でした。

 こちらは、ホテルの窓から見えた朝の様子 
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 弟は二人いまして、下の弟は8才下なので、(頼まれもしないのに)おぶって歩いて、あげくの果てに転んで押しつぶし泣かせたりしていました。
 そういうこともありまして、感無量でした。

  きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする  
                         寺山修司『血と麦』
  これの世にふたりしあらば大いなるふろしきとなり人を包めよ
                         池田はるみ『婚とふろしき』

 率直な結婚の歌も、いいなあと思った次第です。 

  

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