化学調味料を使わないわけではなく、パックになっていたり顆粒になっている出汁を使わないわけではないが、味噌汁の出汁には煮干しを使っている。
面倒な……と言われることがあるが、顆粒のものを使うにしても、だいたい鍋を出して何らかの容器からその顆粒を多すぎず少なすぎずぱらぱらと入れるのである。ときどき、多すぎてしつこい味になったりするから、そこそこの熟練?も必要かもしれない。
その手間と、煮干しの頭をとってワタを取り去って鍋に放り込むのと、どのくらいの手間の差があるか……ということだ。
ところで、高野公彦さんの『無縫の海』(ふらんす堂)を読んでいたら、こんな作品が出て来た。
遠島を味はふ如し厨にて昆布、炒子(いりこ)の出し作るとき
奥様を亡くされてからの一人の生活で飯をつくるというのは、「遠島」のような感慨になることもあるだろう(美味しい肴をつくって酒を楽しんでいらっしゃる様子でもあるが)。
この「炒り子」。
ごくふつうに「煮干し」とか「じゃこ」と同じものだという説明も読むが、いろいろ思い出すことがある。
就職したときの最初の職場はシフト勤務・交代勤務だったが、妻が看護師という人が何人かいて、そうなると家事はほぼイーブン。男どうしで飯の作り方が話題になったりした。
あるとき、出汁の話になって、「煮干しは必ず乾炒りするもんだ」と言われた。思えば高野さんと同じ愛媛県は伊予の出身の人であった。
ふつうに味噌汁にするぐらいなら、そんなに違いはないが、なるほど魚特有の生臭さであったり、少し古くなって酸化しつつあるようなところの臭いは、焼いたり炒ったりすることで飛ばされるだろう。より旨い出汁をとろうとするならば、そのひと手間は大事なことだ。
煮干しもじゃこも、基本は煮て干したもの。「炒り子」は西日本での呼び名というが、おそらくそれは、たんなる名前の違いではない。
西日本のある地域の、ある人々の「煮干しは必ず乾炒りするもんだ」という信念か常識か、そういうものに支えられて「炒り子」と呼ばれてきたのだ。
そういうことだったのではないか。