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アーカイブ "2016年06月"

 きょうのお昼すぎ、横断歩道を渡ろうと思ったら信号が点滅し、走るパワーがなくて待つことしました。

 
 ふと、目線より少し低いくらいのところにピンク色の花が咲いているのに気がつきました。

 昼顔かな。 と、その茎をたどっていくと、その立派な昼顔が支柱にしているのは電信柱ではありませんか。(写真ではよくわからないかもしれませんが)

 まぁ、風で倒れる可能性は低いし、頑丈だし。 偶然、蔓をのばした先が電柱とは、幸運といいましょうか、さぞここまで巻き付きにくかっただろうと想像したりしました。

 信号が変わって、横断歩道を渡り、さっきの昼顔を確かめようとしましたが、こちら側からは全然見えないのでした。電柱は普通に道路に面して立っているふうで、裏側に昼顔を育てているなんて思えません。

 あとで考えると不思議で、土の部分はどうなっているのか、気になります。

 あした、確かめに行こうと思っているところです。

2016/ 6/30 12:28

2016/ 6/30 12:28

きのう、我が家に新しい楽器がきました。

 沖縄の弦楽器、三線です。 いままで見たことはありましたが、近くで見ると、イメージより小ぶりです。 ハムスターやうさぎがやってきたときとはちょっと違いますが、家の中に三線の音が流れるのはほのぼのしてなかなかいいです。三線

 ちょうど、いま読んでいる歌集の中に三線の歌がありました。

 ・三線(さんしん)のやみたる夜を散歩するぬるくしめった風のおきなわ  
                          古谷円『百の手』

 
 のどかで伸びのある三線の音を聞いてから読むと、その場の情景がくきやかに立ち上がってきます。これまでも三線の歌は読んだことがあったのかもしれませんが、通り過ぎていたのかもしれません。

 
 先日、トゲチシャという植物を詠んだ歌と出会って、トゲチシャを知らずに歌のよさがわからなかったことを思い出しました。 あとで画像でみたら、よくみかける植物で、「ああ、あの草か!」と知ってからは、信号待ちの歩道の脇とか、駐車場の隅っことかに生えているのを見つけるようになって、トゲチシャ、トゲチシャとその名前を心のなかで確認して喜んでいます。

 名前を知ると急に親しくなるものですね。

 

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お庭に木苺の木を植えておられる方が近所にいて、
この季節になると、その滴るような実のおすそ分けにあずかります。
木苺をお庭に植えるのはかなり厳しいことは、知ってます。
塚本邦雄氏の名文に曰く、

 ・・・繁りに繁り、他の草木は悉皆犠牲に・・・。
 ジプシー女を愛していざ一緒に暮らすと
 とてもつき合えないような悪癖、悪習に、
 悲鳴をあげるドン・ホセの心理を連想して・・・。
          塚本邦雄『味覚歳時記』

植えたばかりの木苺を根こそぎ引っこ抜くことに
なったとか・・・。当宅のご近所さんは、ジプシー女を愛し続ける
度量のある方のようで。私はその恩恵にあずかっているのですが。

  きいちごをはみつつきみはほほゑみき一期の夢の夏のあけぼの
                       塚本邦雄

少しお砂糖を加えてフレッシュジュースにすると抜群に美味です。

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鴨は種類が多い鳥ですが、写真はカルガモでしょうか。

 かすかなる水尾(みお)ひろがれど泳ぐ鴨の彼方茫々と昏るる湖ある
                      高安国世『光の春』

短歌を始めたころは、植物や動物の名前にも疎くて。
名前を知らないと目に入っても、見えていないことも多くて。
初めて吟行に参加したとき、先輩が道端の雑草を抜いて、
丁寧にチリ紙に包んでいて驚いたことがあります。
「持ち帰って、図鑑で名前を調べる」とのこと。
そういう努力も必要なんだな、と思ったことでした。

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渋谷駅のハチ公前は、高校生のころから待ち合わせ場所として
なじんできたところだけれど。ハチ公そのものをしっかり見てはいなかった。

  ハチ公の左の耳は垂れゐると子に教わりぬ雪の渋谷で  栗木京子

この歌に出会うまで、私もハチ公の耳のたれ具合なんて気が付いてなかった。
あの頃は、自分のことにばかり、夢中だったんだ(友情とか、恋とか)。
米国映画『HACHI』が話題になったりして、今や世界的人気のハチ公。
周りには、外国の人たちがたくさん。この日は、ハチ公の足元に
誰かがナマ猫を置いて、撮影中でした(^^:。

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家族が集めている世界の鶏の人形の、写真は一部です。
中央に向き合って立つ大きな鶏の左側は
ポーランドで購入した、松毬製。右は中国海南省の
貝製。鶏はかつては家庭で広く飼われていたからか、
どこの国でもよく見つかるので、集めやすいですね。

 見てを居り心よろしも鶏の子はついばみ乍(なが)らゐねむりにけり
                       斉藤茂吉『赤光』
難しいのはイスラム圏で、偶像崇拝禁止という考えがあるからか、
あまりこの手のお土産は見つかりません。
手前の七角形の形のものが唯一。実はこれスパイス入れです(オマーンで入手)。

ヤブカラシが小さな花をつける季節になった。
自分の庭にヤブカラシが茂ってくるなら抜き捨てるほかはないが、この小さな花の上を虻や蜂が行き来したりするのを見るのは楽しい。

齋藤茂吉の『小園』の「疎開漫吟」に

やぶからしの玉もやうやく色づきてその紫も愛づべからずや

というのがあって、どんな実なのだろうと調べてみれば、なるほど見たことのある紫の実なのだった。

目立たない花と目立たない実は、なかなか頭の中で結びつかないものだ。

通勤経路の何か所かにヤブカラシの茂る植え込みがあって、今年はその実が色づくところまで気をつけていようと思っていたところ、今朝見たら植え込みの剪定があって、ヤブカラシの花も見えなくなっていた。
しつこい草なので、また植え込みの中から顔を出すかもしれないが。

清水房雄『獨孤意尚吟』にはこんな作品がある。

藪枯らし茂りて枯るる趣を愛しゐたる間に家人ぬきて棄つ

仕方のないことではあるが、しばし呆然とする。

やぶ2

化学調味料を使わないわけではなく、パックになっていたり顆粒になっている出汁を使わないわけではないが、味噌汁の出汁には煮干しを使っている。

面倒な……と言われることがあるが、顆粒のものを使うにしても、だいたい鍋を出して何らかの容器からその顆粒を多すぎず少なすぎずぱらぱらと入れるのである。ときどき、多すぎてしつこい味になったりするから、そこそこの熟練?も必要かもしれない。

その手間と、煮干しの頭をとってワタを取り去って鍋に放り込むのと、どのくらいの手間の差があるか……ということだ。

ところで、高野公彦さんの『無縫の海』(ふらんす堂)を読んでいたら、こんな作品が出て来た。

遠島を味はふ如し厨にて昆布、炒子(いりこ)の出し作るとき

奥様を亡くされてからの一人の生活で飯をつくるというのは、「遠島」のような感慨になることもあるだろう(美味しい肴をつくって酒を楽しんでいらっしゃる様子でもあるが)。

この「炒り子」。

ごくふつうに「煮干し」とか「じゃこ」と同じものだという説明も読むが、いろいろ思い出すことがある。

就職したときの最初の職場はシフト勤務・交代勤務だったが、妻が看護師という人が何人かいて、そうなると家事はほぼイーブン。男どうしで飯の作り方が話題になったりした。

あるとき、出汁の話になって、「煮干しは必ず乾炒りするもんだ」と言われた。思えば高野さんと同じ愛媛県は伊予の出身の人であった。

ふつうに味噌汁にするぐらいなら、そんなに違いはないが、なるほど魚特有の生臭さであったり、少し古くなって酸化しつつあるようなところの臭いは、焼いたり炒ったりすることで飛ばされるだろう。より旨い出汁をとろうとするならば、そのひと手間は大事なことだ。

煮干しもじゃこも、基本は煮て干したもの。「炒り子」は西日本での呼び名というが、おそらくそれは、たんなる名前の違いではない。

西日本のある地域の、ある人々の「煮干しは必ず乾炒りするもんだ」という信念か常識か、そういうものに支えられて「炒り子」と呼ばれてきたのだ。

そういうことだったのではないか。

みそしる1

みそしる2

先日、滋賀県は膳所の義仲寺まで行って来た。いつも歌会をやっているメンバーでの「吟行」。
緑の深い庭とその周辺の散策ののち、お寺の一室をお借りしての歌会である。

木曽義仲が討たれた場所に近く、義仲の墓を守る寺であり、芭蕉の墓もここにあるというのは知られたことであるけれど、あまり予習をせずに行ったので、後になってあちこち拾い読みをしたりしている。

もっとも、吟行に行くのに、予習をしすぎてもよくない。知識や先入観でものを見てしまう危険があるから。

義仲寺についての作品はいろいろある。

たとえば、昭和の再建に寄与した保田與重郎は、その墓(分骨)が翁堂の裏に建立されているが、事業をやりとげた感慨の一首が歌集『木丹木母集』にあった。

   義仲寺昭和再建 一首
おほけなく二つの塚を護りえたるけふのよき日に仕へまつりぬ

ほかに、木俣修には「少年の日この地に学びき」という詞書を伴う一連「膳所」があり、齋藤茂吉『白桃』には義仲寺をはじめてとして大津周辺に滞留した作品群がある。上田三四二『湧井』や池本一郎『萱鳴り』にも「義仲寺」と題した作品がみえた。

田中栄『海峡の光』から「義仲寺」と題する五首を引いておこう。

三度来て三度身に沁む芭蕉の墓割れし継ぎ跡白白見ゆる
逝く時を知らず佇む墓の前綿虫いくつ灯とぼしてとぶ
芭蕉の木古きも若きも残り花垂りて寂(しず)けし冬のくもりに
翁堂の奥に座したる芭蕉像闇にほのめく眼を見つむ
湖の霧比叡にさか巻きゆく見えて夕べしずけし鴎泛く湖

ほぼ自然石の芭蕉の墓。バナナの類の芭蕉は、あれは木というものではなく草に近いが、一般に木と呼ばれている。なるほど芭蕉にゆかりの寺なのだった。

ところで、門の上に亀がいた。

鬼瓦は珍しくないが、亀というのはこれはいかに?とお尋ねしたところ、水難よけの守護神のようなものだという。

門前は旧街道。いまではかなり埋め立てられてしまったが、昔はすぐそこまで琵琶湖だったのだ。

写真

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※ 写真は下案段階のものですので、多少変更の可能性があります。

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