一昨日(2月9日)、滋賀で2月恒例の「かるた歌会」があったので、行ってきました。
随分と寒い日で、大津京駅をおりると雪が降っていたのには驚きました。
(大阪の自宅を出て来るときには、全くそんな気配はなかったので。)
私は、母の影響もあって、子どものころからかるた(百人一首)には親しんでいて、私を含めた三姉妹とも、今でもかるたが大好きです。
三姉妹揃えば、季節に関係なく、必ず一度は(たいていは二度、三度…)かるたをします。
最近では、三人揃う機会もなかなか少なくなってきてしまいましたが。
我が家の中では「母の札」というものが存在します。
寂しさに宿を立ち出でて眺むればいづこも同じ秋の夕暮れ
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ
なぜこれが「母の札」かというと、母の名前が「いつこ」だからなのです。
かるたの取り札には濁点はありませんから、それぞれ「いつこもおなし」「くものいつこに」と書かれています。
それで、よく母が「これはお母さんの札だからね!」と言っており、私たちも自然と覚えてしまいました。
それから「父の札」というのも存在します。
千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
父は、家族でかるたをやっているときも、滅多に参加することはないのですが、ごくたまに一緒にやることがあります。
で、ごくたまにしか参加しないくせに、この二つの札は、まず間違いなく取っていくのです!
私を含め三姉妹とも相当な数かるたをやってきたはずなのですが、この二枚だけは滅多に父にかないませんでした。
ま、おかげで必死に覚えたのですが。
随分前になくなった伯父(母の兄)もかるたが好きな人でした。
伯父の好きだったのが
天津風雲の通ひ路吹き閉ぢよ乙女の姿しばしとどめむ
そう言えば、なぜこの札が好きだったのかは、結局聞きそびれたままでした。
お正月に親戚で集まると、ほどよくお酒に酔った伯父が、この歌を唱えていたな…と思い出します。
この札、取り札が「を」で始まるのはこの一枚なので、とても目立ちますよね。
書いていたら、また家族でかるたをやりたくなりました。