祇園祭
もう10日ほど前のことになりましたが、京都に行きましたときに、再校作業にお邪魔しました。
で、それが終わって、(大森さんも書いて下さってますが)、その日は祇園祭の宵々山の日でしたので、ま、こういう機会もないので、見に行こうと思ったわけです。
でも、「祇園祭」とはどういうものか(古典の疫病退散のイメージ…)、そして、どこでやっているのか、いまいちイメージが持てず、祇園さん(八坂神社)に行けばいいのかななんて思っていたわけでした。
結論から言うと、そこではなかったのです…。
それで、そんなとんちんかんなわたしを見かねて、塔の木村輝子さんと、寺田慧子さんが、わざわざ途中下車して(涙)、つきあってくださったのでした。というか、導いてくださったのでした。
寺田さんは京都の方でして、すいすいと室町通に連れてってくださり、そして、いろんな鉾を教えてくださいました。
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これが、放下鉾。そして、
これが月鉾。てっぺんにお月様があります。そして、
これが、函谷鉾。函谷関と関係あるんでしょうねえ。最後は、
長刀(なぎなた)鉾でした。これは、籤無し鉾とも言われて、常に巡行で先頭であることも、寺田さんから教わりました。
暑いのに、すごい人なのに、おつきあいくださったお二方に感謝するとともに、ほんとに、塔ってありがたいなあと思いました。
鱧です。すべてを満たされて帰りました。 祇園祭、あと3日ほどだそうです。
西川啓子さんから
作品2の詠草受付を担当している西川啓子さんからの伝言です。
「六月十八日朝、私の住んでいる高槻市は震度六弱の揺れに見舞われました。二世帯の一階、二階の食器がかなり割れ、物が落ちて部屋の中が散乱し、壁に亀裂が入る等の被害はありましたが、北部はライフラインが保たれていました。地震から数時間後、郵便物はいつものようにポストに入っていました。二十日に予定されていた同居の母の手術も予定通り行われ、バタバタしましたが、何とか歌稿を送り出すことができました。
地震の被害を心配して下さるメールやお葉書、歌稿の中のお手紙、ありがとうございました。個々にお返事できていませんが、励みになりました。お返事できませんので、歌稿の封書は、歌稿のみでよろしくお願い致します。」
現代歌人集会in奈良
現代歌人集会という歌人団体があります。創始者はみなさんご存知、高安国世…であるにも関わらず、数年前まで理事に塔の会員はほとんどいませんでした。最近は結構多い。
さて、その春季大会が7月16日(月)に奈良県で行われました。一年を二つに分けると、7月はまだ春だとのこと。150名以上の参加者があり、大盛況でした。タイトルは「万葉に遊ぶ」
面白かったのは内藤明さんの講演。やはり国文の大学教授だけあって、80分間、時に笑いもとりながら、話しつづけられました。
なかでも最も印象に残ったのが、昔は「奉和歌」という、掛け合いがあって(いわゆる相聞歌)、お互いに歌を詠み合っていた。
大津皇子、石川郎女に贈りし御歌一首
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに (107)
石川郎女、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを (108)
こんな例を引き合いに、昔は歌がもっと開かれていた、閉じていなかった、ということを強調しておられました。
そこでちょっと思ったことを。
歌は、ひいては文学は一人で悶々と創る、孤独な営為である、そんな風に思われている節がある。けど、それはけっこう最近のことじゃないかな。大岡信が『うたげと孤心』でも書いてるように、昔は「うたげ」で歌がうたわれていた。だから万葉集でも宴会の歌がやたらと多い。歌は個人が創るものじゃなく、場が創り出すもの、そんな意識があったんじゃないかな。だから「座」の文学とも言われる。明治以降に西洋文学が入って来て、そこで個人の才能でもって作られるのが「文学」だ、という風に移行する。
特に連歌や連句は一人では成り立たない詩型で、そこから派生した俳句なんてもう完全に一人だけの文学ではない。そんなことを思ったり。普段の歌会もどこかでそんな機能を果たしているように思う。
で、来月は全国大会!去年評判の良かった夜の勉強会(???)を今年もやります。今年はずばり「歌仙」、連句ですね。前置きが長くなりましたが、つまりはそういうことでした。
今年はオプショナルツアーに参加すれば僕の誕生日だったのですが、(主に金銭的な理由で)僕はオプショナルツアー不参加です。。。。
酷暑の日のカラス
消えた!
先週の日曜日は岩倉で割付・再校作業でした。参加者約20名。
東北の梶原さい子さんも来られていて賑やかでした。
ちょうど当日は、祇園祭の宵々山。
夕方から四条通りが歩行者天国になります。
いつもはタクシーを呼んでもらって地下鉄国際会館駅まで皆で帰るのですが
この日はどの会社のタクシーも宵々山とその渋滞のためにことごとく出払っていて
結局、車で来られていたひとが手分けして送ってくださったり、何人かは徒歩で帰ったり。
私は徒歩組。夕方17時でもまだ外はうだるような暑さです。
普段からどんな天気であっても「徒歩」を貫かれている山下洋さんと辻井昌彦さんについて行くと、途中で蓮の花のスポットを見せていただきました。
住宅地のなかに突如として現れる蓮畑。ちょっと涼しい気分に。
蕾を売っていたので買おうかどうか一瞬迷いましたが、この後ぎゅうぎゅうづめの電車に乗ることを考えて断念しました。
ところでこの日の割付作業では、ちょっとした珍事件が発生しました。
月詠用紙に、流行りの「フリクションペン」(消せるボールペン。確かに便利です)で詠草を書いてこられた方があったのですが、なんとこの夏の気温の高さのために、歌がすべて消えてしまっていたのです…!
温度の変化によって、勝手に字が消えてしまうことがあるみたいですね。
永田家の冷凍庫で冷やすこと30分…幸い字は復活しました。
(ネットに載っていた方法を、その場にいたひとたちで試しました)
よかった。皆さん、こういうこともあるので詠草などは「消せるボールペン」では書かないよう、お願いいたします!
バンクーバー通信
第7回河野裕子短歌賞
現在、第7回河野裕子短歌賞の作品を募集中です。
これまでの「家族の歌・愛の歌」に加えて、今年から新たに
「自由題」も設けられました。皆さん、ぜひご応募ください。
締切は8月17日(金)必着です。
犬のうた・猫のうた
以前から少しずつ誌面やブログでご案内(とご報告)していたとおり
1月21日(日)の文学フリマin京都
5月6日(日)の文学フリマin東京
に「塔短歌会」でブースを出しました。
京都は谷口美生さん、東京は沼尻つた子さんを中心に
ほかにも多くの方に当日のお手伝いなどご協力いただきました。
そこで配布したのが上の写真の冊子、
「犬のうたアンソロジー」と「猫のうたアンソロジー」です。
ホームページ等で募集して、会員有志の方からそれぞれ60首前後の
「犬のうた」「猫のうた」が集まりました。
表紙の絵は田村龍平さんによるものです。
文学フリマにお越しになれなかった方や遠方の方にお見せできないのが残念ですが
残部は塔の事務所にて保管していますのでもし機会があればお立ち寄りください。
↓事務所の開所日