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カテゴリー "荻原伸"

いまの家に住んでちょうど10年目になります。それまでは、6階建ての賃貸マンションに住んでいたのですが、手ぜまになってきたので戸建てに引っ越そうというこになりました。ちょうど子どもが小学生になるまであと一年でしたから、当時通っていた保育園が校区になる小学校がいいなといくつかの不動産屋さんを訪ねて内見させてもらったり、ネットでしばらく探したり待ったりしてみましたがなかなかこれ!という物件に出会えないでいました。

ある日、近所をウォーキングしていたら、工務店の白い軽バンがある家の前に停まっていて、数名の方がその家から出たり入ったりするのが見えました。いつものコースだとその手前の交差点をまっすぐ行くのですが、左に折れてそこへ近づいてみました。どうやらリフォームしているようでした。さりげなく(いまおもうと全然さりげなくない!)、リフォームですか?って声をかけてみました。すると、「あーっ、ここ賃貸物件にするんだって」と返事がありました。小学校も近いし中学校も近いし、ここだ!と直感しました。「中を見たいのならこっそりええよー」と工務店の方が言ってくださるので、ちらっと見ました。ここしかない。ということで、ホームページに掲載される前に一気に契約しちゃいましたのが今の家。

住んでみると、これまで住んでいたマンションとそれほど変わらない界隈なのに角ひとつ折れるだけで町内の様子がちょっと穏やかでゆったりしていました。小学校のそばの住宅地にはずっと昔からのお宅や神社やお寺があり、家と家の間にはちいさな畑をなさっているところもありました。そしてそういう中に、梔子が生け垣になっているお宅がありました。5月の中旬くらいから八重の白い梔子の花がたくさん咲いてあまい香りを漂わせる、緑の濃い立派な長い生け垣でした。ほんとうに素敵な梔子の生け垣で、ぼくにとっては引っ越ししてよかったと思える近所のお気に入りスポットのひとつでした。でも、2年前の春にその土地は手放されて何もかも掘り返されてある日突然更地になってしまいました。梔子の生け垣もごっそりどこかへ行ってしまいました。その後すぐ売地という看板がたち、夏には新しい家が建ちました。

ぼくはどうしてもあの八重の梔子が恋しくて去年の春、メルカリで小さな鉢を購入しました。そのままなんでもかんでも置いてしまう日当たりのよい職場の窓辺に置くとやはり5月中頃にはうつくしい白い八重の花をつけ、室内にあまいかおりを届けてくれました。そしてそれはいまも窓辺にあって、小さな鉢にたくさんの蕾を膨らませています。

梔子を煮たるインクで刷り上げし荷風の原稿用紙を恋へり/栗木京子『水仙の章』

こんにちは。
荻原伸です。

もうみなさんのところへ5月号は届きましたか?
5月号には大変重要なことが2つ含まれています。

1つは、会費の振り込みです。
6月20日までが締め切りです。覚えているうちに、善は急げ、払い込んじゃいましょう♪

2つは、全国大会in福岡2023のご案内です。
9月9日と10日に実施いたします。ぜひぜひ多くのみなさんに参加していただきたいです。
プログラムの内容の充実、福岡という土地の魅力、そしてみなさんで集う歓び。
6月30日がしめきりです。こちらも、善は急げでお申し込みください♪
(web経由でお申し込みいただけるばあいはぜひweb経由でお願いします!ココ

5月号もくじ。
202305もくじ

こんにちは。
荻原伸です。

プランターで使ったままにしていた土の手入れを4月中旬に行いました。ゴールデンウィークの間に何か夏野菜を植えようと思ってのことでした。でも、何を植えようか、はっきりとは決まっていませんでした。そんなぶらりんとした気分で近所のホームセンターに行きましたら、あらら結構な人。鳥取にもこんなに人がいたんですなという感じ。ゴールデンウィーク初日の午前の園芸コーナーはにぎやかでした。

ぼくはそこで、去年はたぶん目にしなかったものすごく皮が薄いというトマトの苗やオレンジ色の実がつくというトマトの苗などまずは選びました。種のコーナーでは、たくさんの種類が混ぜて入れてあるベビーリーフ(マルチ)や二十日大根の種袋などちょこちょこ選び、そうして、ぐるぐる同じところをまわっていると、ほとんど視界に入らないようなところに小さなモロヘイヤの苗を発見しました。1ポット90円。

初夏になると、母の道子が、畑の片隅で育てたモロヘイヤを毎年たくさんくれます。葉っぱとすこしくらいの茎もいっしょに茹でて、あのネバネバを鰹節と醤油で食べたりゆず果汁と醤油でたべたりしております。ああ、あのネバネバ!とおもってしまうと、もはやこのポットも買わずにはいられません、モロヘイヤ。

プランターに植え替えて、2日ほどすると。なんと!葉っぱが食い荒らされています。これは、ナメクジの仕業に違いない!とスマホのライトを点灯させてさがしましたら、いました!ほっそいちいさなナメクジ。割り箸でつまんで、処理しました。それから約一週間。食われていないいきいきした葉が増えてきはじめています。

冬瓜のスープ、モロヘイヤのスープ、冷たい豆のスープ、秋立つ /大口玲子『トリサンナイタ』

100円ショップのダイソーで購入したコーヒーの木を育てはじめてから5年8ヶ月がたちました。

職場の窓辺に置いて、太陽の光をあてて、春から夏には水をたっぷりそそいで、年に一度は鉢を変えてきました。

5年目の、今年の初夏に、初めて白い小さな花が咲きました。ぼくにとってもこのコーヒーの木にとっても、はじめての開花。生でコーヒーの花を見たことがあるというひとは、ぼくの席の近くにはいなくて、その同僚たちも興味津々で小さな花を見に来て、写真をとっていました。世界のコーヒー産地のコーヒーの花の写真をwebで見てみると、数珠つなぎでひと枝にわさわさ咲いています。でも、窓辺のぼくのコーヒーの木は、ぽつんぽつんと、お!咲いてる!という感じで、数えるほどの開花でした。そんなわずかな花を小筆でこちょこちょ受粉させました。

ほどなく小さなカリカリの梅干しくらいのみどり色の実がなりました。それからしばらく長い間みどりのままでしたが、先月くらいから熟して赤くなってきました。

熟して真っ赤になったコーヒーの実をながめていると、ぜんぜん違う文脈なのに、少し前に読んだ山本文緒さんの言葉を思い出してしまいました。

ふたりで暮らしていた無人島だが、あと数週間で夫は本島へ帰り、私は無人島に残る時がもうすぐ来るらしい。(山本文緒『無人島のふたり』新潮社2022 P.146)

こんにちは。
全国大会事務局の荻原伸です。

9月に開催される河野裕子記念シンポジウムと全員歌会のうち、
全員歌会に参加なさるみなさんのところにはそろそろ「詠草集」が届くと思います。「詠草集」とともに「互選賞の投票用紙」と「ご案内」が同じ封筒に入っています。
◎「互選賞の投票用紙」は記入して当日京都にご持参ください。
◎「ご案内」には歌集販売や歌碑見学についても記しています。目を通しておいてください。
もちろん、健康のことを一番にお考えください!

8月号のもくじはこちらです。202208もくじ

自動巻きの腕時計をいくつか持っているのですが、大切に保管したり管理したりしていません。なんとなくいくつかの腕時計をごそっとこのあたりにというところに置いていて、今日はこれにしようという感じで選び、止まっている腕時計を振って、合わせて、という日々。

先日、ネット販売大手のサイトがプライムセールみたいなことをやっていて、そういえばとなんだか急に思い立ってワインディングマシーンをひとつ購入してみました。ワインディングマシーンというのは自動巻きの腕時計をセットしておくと身につけていなくても周期的に動いてくれて時計がとまらずにすむというものです。試しにひとつという軽い気持ちでのポチっと購入でした。すると、不思議なことによりによってポチッとした翌朝、同僚のAがぼくのところにやってきて、「ワインディングマシーンって使ってますか?あれって時計に結構負担がかかってデメリットも多いらしいですよ」と言うのです。ワインディングマシーンについてこちらが水を向けたわけでもないのに、です。心のなかで、あちゃーちょうど昨夜ポチッとやっちゃったよ、と思いつつも、素知らぬ顔で「使ったことないからなー」と応じたのでした。とほほ。

動揺冷めやらぬその日のお昼。前の席の同僚Bが半円形のボールに蓋がついた(しかもその蓋にとってがついている)弁当箱とは言い難いしかし弁当箱のよおうなものをもってきて、蓋を開け始めました。興味津々で、しかしこれもまた素知らぬ顔でちらちらみていると、そこに麺が入っていてその麺の上に具材を載せて液体をかけて、なんと冷やし中華を食べ始めるのです。弁当に、冷やし中華とは!と心に衝撃をうけたまま、「いいなー冷やし中華。その弁当箱みたいのも専用?」などと話していると(念の為、黙食後のことです)、さらに向こうの席のCさんが「わたしもBさんの影響で夏は冷やし麺類を弁当にもってくるようになった」と。さらには、冷やし中華は半生だけではなく近頃は乾麺の袋ラーメンのようなのもあってそれがなかなか美味しいとか、夏野菜をなんでものっければいいとか、具材に困るからカニカマを買っておくと便利であり、そのカニカマもチープな量販店でごそっと入ったものでいいだとか、ほんとはやっぱり蒸し鶏とか入れたいなどなど指南してくれるのです。そんなわけで、いまお昼の弁当として冷やし中華を持って行きたくなっております。無論、それ専用の弁当箱も欲しくなっております。

歩きながらカロリーメイトを飲みくだす昼いちばんを指定されてゐて/真中朋久『エウラキロン』

写真はプランターで育てているミディアムトマト。まだ青いものもたくさんあります。

7月14日。今夜は満月なのだそうです。

そんな本日は各地で天候が乱れるという予報。大きな災害にならないといいなと心配になります。ぼくの住む鳥取も朝から雨が降ったり止んだりしています。コロナの陽性者数が急激に増えていることも心配。いつもの日常をなるべくいつも通りすごしたいものです。ちなみに、9月に実施予定の「河野裕子記念シンポジウム&全員歌会in京都2022」は200を超える会員のみなさんからの参加表明が届いています。これもまた穏やかななかで実施できるといいのですが。(ただいま現在、全国大会事務局スタッフの上澄眠さん、岡本幸緒さん、金田光世さんが住所や詠草集の校正をすすめてくださっています!詠草集は8月下旬に送付する予定です)

「満月の夕」にもどります。「満月の夕」といえばソウル・フラワー・ユニオン。1995年の神戸での震災の後にこの歌をよく聴きました。聴いては涙し、涙しては聴いて、心を奮い立たせていたように思います。ぼく個人はその年の4月から鳥取に帰ってきてしまったので、心苦しいような裏切ってしまったような気持ちも、聴きながら感じていました。

そんな鳥取に帰ってからの日々のなかで、たぶん2年後くらいだったと思います、同僚が地元の小さな飲食店でライブがあるから行こうと誘ってくれました。それは酒井俊さんのライブでした。失礼ながら酒井俊さんを一度も聴いたことがなく、またいまのようにサブスクやyoutubeでさっと聴くことができるということでもなかったので(当時のぼくのネット環境はnifty-serveでした!)、同僚のすすめる声を信じてびくびくしながら行ったのでした。そして、そこに現れた酒井俊さんがすごい熱量でストレートに歌い出したのです、「満月の夕」を。びっくりしました。そして数名の同僚といるのにどうしても涙があふれ出てしまいました。

なんだか急に今日、そのことを思い出しました。それで、いまyoutubeで検索して、あいみょん、アン・サリー、大竹しのぶなどもカバーしていることを知りました。そしてそのどれもが心に届いてくる感じがします。

満月の夕。いい夜になりますように。

写真は我が家のプランターでとれたトマトです。トマトのことを書こうと思っていましたのに満月の夕の話になってしまいました。

いま何か伝えることがあるようで月は光を道にとどかす/江戸雪『西瓜』第5号2022summer

【塔短歌会会員のみなさんへ】

「河野裕子記念シンポジウム&全員歌会in京都2022の参加申込」について5月号に掲載されているQRコード(会員専用)に不具合がありました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。(会員以外の方の申込みは後日お知らせします)

新しいQRコードを作りましたので、webでのお申込みにはこちらをご利用ください。また、以下のURLのリンクからも申し込みが可能です。

https://bit.ly/3x6UhiM

とどろきて汽車鉄橋を過ぎゐればその深き谿(たに)に咲く花も見ぬ /前川佐美雄『積日』1947

 

先に紹介した「半年ぐらいはお世話になりたいと思ひます 御返事願います」という言葉で結ばれていた佐美雄からの手紙の日付は3月15日でした。このころ、つまり、1945(昭和20)年3月は大規模な空襲により各地に深刻な被害が及びました。10日に東京、12日と19日に名古屋、13日に大阪、17日に神戸、そして19日に広島などなど。また、26日からは沖縄戦が始まりました。8月14日の御前会議でポツダム宣言の受諾が決定され、15日正午に玉音放送が流れるまではあと約150日。

=====手紙の引用はじめ=====

拝啓 前便二つ御覧下されし事と思ひます 急は既に急を要しますので、色々とおうちあわせも致したく、就てはこの二十二日か二十三日の両日中に小生一人御地へまゐり、一泊してすぐひきかへす予定にておめにかゝりにまゐります 色々と御厄介をおかけするでせうが何卒よろしく 切符の都合にて京都から乗車の場合は鳥取着、十四時四十三分 大阪からの乗車の場合は十八時四十七分の列車の何れかに致します 確かな時間は前日中に打電しますから まことに御迷惑ながら鳥取迄貴君か石塚君か御都合にておこし願ひたくう 切符は鳥取迄しか買へませんので、さうして頂いたら小生まごつかなくて安心です 尚申上げし如く適当な家の見つかる迄は旅館住ひをさせてもよろしくその方もお考へ下さい 万々は御拝眉の上にて とり急ぎ右迄 草々
三月十九日朝   前川生
杉原一司君

=====手紙の引用おわり=====

これまで引用してきました手紙の後付はどれも「前川佐美雄」「杉原一司様」となっていましたが、ここでは「前川生」「杉原一司君」となっています。「急は既に急を要します」ということがここにもあらわれていると言えるのかもしれません。日本全体の、日本に住む一人ひとりの、極めて困難で息詰まるような状況が思われます。

=====手紙の引用はじめ=====

拝啓 昨日お手紙(速達の)を頂き、ついで電報を頂き、今日又、速達便のお手紙を頂きました 御入隊せられる由 あまり早急なので驚いてをります 大いにしつかりとやつて頂きたいものです 万々は御拝眉にと存してをりますか疎開につきましては何くれとなく御面倒を見て下され 電報や今日のお手紙を拝見して 妻は感涙してゐます 実は早速返電申上げる筈でしたが、十八日から御地行の電報は一時禁止です それでこの状を差上けるわけですが、小生が御地にまゐる迄につくか否か不明です 二十三日朝出発鳥取へは午后二時四十三分に着く京都発の汽車にてまゐります お手紙をくはしくう教へて頂きましたので丹比駅へ下車致します 二十三日の晩は泊めて頂くかして廿四日の夜行かにて奈良へ戻り家族を送つてまゐるのは廿七、八日になる筈です 万々はあめにかゝりましておうちあはせして頂きたく 奥さんや御両親様によろしくおつたへ願上けます 廿四日は小生は御地のそここゝを見てしたしみたいと思つてをります 色々ごたごたしてをりますので とり急ぎ右様迄 草々
(切符はやつとの事で入手しました 但し片道だけです)
三月廿日  前川佐美雄
杉原一司様

=====手紙の引用おわり=====

冒頭「昨日お手紙(速達の)を頂き、ついで電報を頂き、今日又、速達便のお手紙を頂きました」とある通り、佐美雄からの手紙に対して一司がすぐに応答していることが分かります。戦争末期の極めて困難な状況にあって、郵便や電信網はどのような状態だったのかと思わずにはいられませんが、それでも、奈良と鳥取のこの二人の間での送受信はほとんど滞りなく行うことができていたのでしょう。ただし、「十八日から御地行の電報は一時禁止です」という事態に陥ってしまっています。

一司には急な展開が待っていました。「御入隊せられる由 あまり早急なので驚いてをります」と佐美雄が書く通り一司に召集令状が届いていたのでした。このとき一司は18歳。2月21日に令子さんと入籍したばかりでもありました。年譜(『杉原一司歌集』綜合印刷2020)によれば一司が入隊したのは3月27日のことですから、赤紙を受け取ってから入隊までの準備期間は2週間ほどだったのでしょう。

「二十三日朝出発鳥取へは午后二時四十三分に着く京都発の汽車」に乗ってやって来た佐美雄とどのような思いを胸に抱いて一司は語り合ったのでしょうか。鳥取の山深い丹比(たんぴ)村の夜の暗さが思われます。

*手紙の引用はいずれも『杉原一司宛 前川佐美雄書簡』鳥取大学地域学部2021

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