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アーカイブ "2023年04月"

染井吉野はほぼ散ってしまい、今咲いているのは八重桜。
その中でも花が牡丹の花のように丸くなるものは
牡丹桜と呼ばれるようです。

写真の桜は、五分咲きくらいの時は、すっきりした印象でしたが
撮影した日はまさに満開。
写真を撮ろうと花の下に入ると、何と言えばいいのでしょうか、
豊満というか豊潤というか、見ているとクラクラするような
とにかく包み込まれ圧倒されました。

溢(はふ)れ咲く牡丹桜の下をゆきこころもあやに妻らに湎(おぼ)る 
鬱(うつ)したるおもひ和(やわ)さむ親われら花燿(て)る下に子を跳ばしめつ
花びらは生きをるもののかくるがに黒き築地(ついぢ)のうちらにしづむ
若きらは丈夫(ますらを)さぶとおごれりし散りまどふ花の団(かたまり)とかも      坪野哲久『桜』(昭和十五)

〈一首目は豊満に咲く牡丹桜の下で、
自分でも不思議なほど妻と子に溺れていると詠う。
青年等が若く独身のまま(戦争で)死ぬことに対するアンチテーゼとして、
哲久の牡丹桜と家族はある。
二首目では、親の鬱屈した思いを和ませてくれるように、
子は花の下で無邪気に跳ねている。
三首目、哲久には花びらが散っていくさまが、
生きているものが隠れていくように見える。
築地の黒さと「しづむ」という言葉遣いが不吉な印象だ。
四首目、昂揚した気持ちで自分を丈夫らしいと思っている若者たちを
散りまどう花のようだと詠う。
散ってくる花びらのもとで、哲久の思惟は死んでいく若者たちに至るのだ。〉
          川本千栄「近代短歌山ざくら考」『深層との対話』より

昔書いた文を引用しました。
戦争時潔く桜のように散っていくことを求められた青年たち。
彼らは自他ともに一重の桜に喩えられました。
坪野哲久は八重桜(牡丹桜)を描きつつ、
そうした青年たちを危うい気持ちで見守っていたのではないでしょうか。

おそらく1枚目の写真の桜は一葉、2枚目は関山。←検索した

4月からの新しい通勤路の途中に
桃が咲いている道があります。
桃でしょうか?でも桃の花って3月ぐらいのものでは?
じゃあ八重桜なのでしょうか?

鶏ねむる村の東西南北にぽあーんぽあーんと桃の花見ゆ 小中英之

何だかのどかで田園風景のような写真でしょう?
でもそれはアングルのマジック。
ここは実はすぐそばを国道が通り
高速道路やその側道が高架で通り
周囲を車がビュンビュン走っているところなのです。
とても小中英之の歌のようなのどかな所ではありません。
でも道路に囲まれていてもここは干拓地を利用した
広い田畑であることは間違いありません。
これからの季節、色々な樹々や花々が
目を楽しませてくれることでしょう。

この上向きに枝が伸びて花と葉がついているところが
桃だなと思うのですが、花びらの先は丸いのです。
桃は花びらの先が尖っているとか。←検索した

…咲き分けの花桃ですよね…?(自信無し)

生きがたき此の生(よ)のはてに桃植(う)ゑて死も明かうせむそのはなざかり 岡井隆

桜の散る頃になってきました。今年は咲くのは早かったけど、
結構長く咲いていたような気がします。
勤務先は山の中にあり、染井吉野だけでなく、色々な桜が咲いています。
枝垂桜も、牡丹桜もあります。
この写真は前の方が濃いピンクの桜、後ろにぼんやり染井吉野。

総身の花をゆるがす春の樹にこころ乱してわれは寄りゆく 斎藤史
身をよじる苦しきときも幾万のさくらの花のふりかかるなり 同

この季節になると思い出すのはこの二首。
桜の歌は多いけれど、特に気になる歌です。

やはり散る時の染井吉野は他のどの桜よりもきれいです。

最近、とうとう自分であんこを炊くようになりました。
生クリームより断然あんこ派のわたしは、誕生日もケーキではなくお汁粉を希望するのですが、今年はどういうわけかフルーツタルト(フルーツタルトはとってもおいしかった。フルーツタルトに文句はないのです。もちろん、生クリームにも。)。

そういうわけで、自分でお汁粉を作ることにしました。
それで、どうせならあんこから作ることにしました。
「おいしゅうなれ」と、某朝ドラのセリフも呟きつつ。

小豆煮るまんなかに砂糖の山置きてずずと沈めるさまを見ていつ        花山多佳子『草舟』

 
無事にあんこができて、念願のお汁粉をいただきました。

これでお正月のお餅もおしまいです。

ところで、4月4日は「あんぱんの日」なのだそうで。
今度はあんぱん、作ってみようかなあ。

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