橋の解体
ぼくの職場のちかくで橋の解体工事がすすめられています。
橋の解体を見るのははじめてのことで、毎日ちらちらと興味ぶかく観察しております。
この橋は、第三セクターの若桜鉄道という単線の線路の上に架かっています。ですから、跨線橋というのでしょうか、生活道路のような橋(御蔵橋)として長い間利用されていたようです。
ところが、橋の耐久性に問題がでてきて何年か前から通行禁止になっていました。(30メートルほど横にあたらしい橋が架かっています。)
つながっていたむこうとこちらが切り離されるのはなんだかせつない気もします。
秋の橋 下流ばかりが眩しくて柩のような舟が過ぎたり
江戸雪『昼の夢の終わり』書肆侃侃房2015
さようなら
先月、青年団の芝居を観ました。
そのときにたくさんもらったチラシのなかに「さようなら」の映画版のチラシが入っていました。
2012年の全国大会(大阪)で平田オリザさんと青年団をお迎えして「さようならver.2」の観劇と「演劇のことば詩のことば」という鼎談を企画したときの、あの「さようなら」です。それが劇場版になったようです。
11月21日から全国ロードショーがスタートしています。
http://sayonara-movie.com/theater.html
いまのところ、ぼくの住む鳥取でも塔の事務所がある京都でも上映の予定がないようですが、いつかどこかで必ず観ようと思っています。
漢字の空似、言葉の空似
今日はもう一つ、校正のポイントの好例を挙げておきます。
①見た目が似ている漢字に注意
②イメージの似ている言葉に注意
①について、今日はこんな直しをしました。
基盤 → 碁盤
見た目は似ているけれど、意味は大違いです。
印刷会社では、私たちの手書きの詠草を読んで入力する作業が行われています。ですから、どうしても誤入力は起こります。特に、見た目が似ている漢字が入ってしまうことはよくあります。歌を一読して、多少でも意味に引っかかるところがあれば、似て非なる漢字が入っている可能性がありますので、原稿と引き合わせてみることをおすすめします。
②について、かつてこんな例もありました。
土煙 → 土埃
原稿では「土埃」となっていたのが、ゲラでは「土煙」になっていたので、原稿通りに直しました。おそらく、土埃も土煙も連想されるイメージが似ているため、うっかり「土煙」と読んで入力してしまう、ということも起こるのでしょう。「土煙」と読んでも意味は問題なく通りますから、ゲラだけ読んでいてもなかなか気づきにくい誤りです。この種類の間違いは、初校で押さえたいところです。ゲラと原稿との引き合わせを念入りに行うことが大切かと思います。
以上は、校正者向けのポイントです。
一方で、会員の皆様にお願いしたいのは、詠草は楷書で、なるべくはっきりくっきりと読める字で書きましょう、ということです。美しい字で、ということではありません。点、画を明瞭に判別することのできる字で、ということです。誤入力を防ぐことにもなりますし、校正の際の重要な手がかりにもなります。
たり・り問題
「塔」の割付・再校作業でした。
写真は永田家の近所の長谷八幡宮にて。銀杏の紅葉ももうすぐ終わりです。
さて、前回の再校の際にこのブログで取り上げました「せし問題」。これに並ぶのが「たり・り問題」です。松村正直さんも短歌雑誌や歌会で問題になる文法事項の一つとして挙げておられました。今日はその好例(?)がありましたので記しておきます。
誤:加へり → 正:加へたり
「たり」「り」はともに完了・存続を表す文語助動詞です。ルールは二つ。
①「たり」は動詞の連用形につく
②「り」は四段活用動詞の已然形とサ変動詞の未然形につく
つまり「たり」はどんな活用の種類の動詞にもつくオールマイティー助動詞だけれど、「り」を使うときには、活用の種類を確認しなければならない、ということです。
動詞「加ふ」は下二段活用(へ・へ・ふ・ふる・ふれ・へよ)ですから、「り」をつけることはできません。必ず、
加ふの連用形「加へ」+「たり」→「加へたり」
となります。
作歌上「たり」として音数が増えるのがいやならば、助動詞「つ」「ぬ」を使って
「加へつ」「加へぬ」とする選択肢もあります。ニュアンスや音の響きは「たり」「り」とは多少変わってしまいますが。文体自体が変わってくるかもしれませんが、口語の動詞の終止形「加へる」とするのも選択肢の一つです。
もう一つの好例「開く」を見てみましょう。ある歌に「開けり」とあり、耳慣れない感じがするという声が上がりました。しかし確認すると、文語動詞「開く」はカ行四段活用(か・き・く・く・け・け)なので、ルール②により、「り」をつけることができます。
「開く」の已然形「開け」+「り」→「開けり」
もちろんルール①によって「たり」をつけることもでき、その場合は
「開く」の連用形「開き」+「たり」→「開きたり」
となります。自動詞「開く」(~が開く)も、他動詞「開く」(~を開く)も
四段活用なので、どちらの場合も「開けり」「開きたり」を使うことができます。
ただ、古語辞書によれば「(花が)咲く、ほころびる」「(天地が)始まる、起こる」といった意味で使う自動詞「開く」は、カ行下二段活用(け・け・く・くる・くれ・けよ)となり、「り」を使うことができません。連用形「開け」に「たり」がつきます。「天地(あめつち)開けたり」といった具合に。
サ変動詞も見てみましょう。サ変動詞は(せ・し・す・する・すれ・せよ)と活用します。「愛す」の場合、
ルール①により、連用形「愛し」+「たり」→「愛したり」
ルール②により、未然形「愛せ」+「り」→「愛せり」
のどちらもOKです。
「り」を使うときのみ、動詞の活用の種類にご注意ください。
拡大編集会議
紅葉スタンプラリー
「六甲ミーツアート芸術散歩」に行きました。
これは、六甲山の山上の広い範囲に様々な芸術作品が置かれていて、
それを散歩のように巡るというものです。
一部をご紹介しますと・・・
♪
六甲おろし。(巨大なおろし金です。)
♪
えーっと。かわいいような怖いような。。。
自然のなかにあるので怖さはひときわ。
♪
♪
六甲山植物園では、紅葉スタンプラリーがあって
かわいいスタンプを集めるのに夢中になりました。
スタンプラリーってどうしてこんなに燃えてしまうのでしょう。
自然と芸術作品の融合、あるいは抵抗、
そんなことを考えながら楽しかった一日が終わりました。
唐画もん
『塔』11月号の目次です
秋の虹
昼過ぎごろ、虹が出ました。比叡山の方角(撮影場所から見て北東)がかき曇り、巨大な虹の足が現れました。
2分もしないうちに青空が見え、虹の弧がくっきりと。虹について『俳句歳時記 夏』(角川学芸出版編)から引用します。
<雨上がりに日光が雨滴にあたって屈折反射し、太陽と反対側に七色の光の弧が現れる現象。夏に多く見られる。普通は一重だが、二重のものもある。>
確かに、子供のころから虹はいつも北の方角に見てきました。しかし夏の季語だとは知らず。11月も半ばの今の時期の虹は珍しいのかもしれません。
虹の、向かって右足のふもとは出町柳の北の辺りかと思います。「あのへんはいま虹色やなあ」と思いながら、消えてゆく虹を10分ほど楽しみました。
虹の足元にいるだろう人は、そこから虹が生えているとはたぶん分からないはず。その人は、そこからさらに北の方角に虹を見るのでしょうか。どこかから見て、もしも私が虹の生えているあたりにいたら、「あなたいま虹の足元にいますよ」と教えてほしいです。
いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず 山口誓子
薄れゆくかの大虹も一度くらい地球に足を触れたかろうに 石田比呂志