高安国世訳『ロダン』
今月のはじめに私もやっと、法然院の河野裕子さんのお墓と歌碑を訪ねることができました。歌碑のまわりには、まだ色鮮やかな落ち葉。
帰りがけ、近くの古本屋で高安国世訳のリルケ『ロダン』(人文書院)をみつけて購入。岩波文庫版の『ロダン』をすでに愛読しているけれど、単行本はこれはこれでサイズ感やタイトルの文字に味がある。
詩句の中には、文字面からとび出していて、書かれたと言うよりむしろ造形されたように見える箇所があった。詩人の熱い両の手の中で融けてしまっている言葉や言葉の群があった。浮彫の手触りをもった行(ぎょう)があり、又、入り組んだ頭飾のついた円柱のように、不安な思想の重荷を担っている十四行詩(ソネット)もあった。この芸術は、その不意に終るところで他の一つの芸術の発端に突き当っていることを、そうして他ならぬこの芸術をそれは憧れ求めていたのだということを、彼はおぼろげに感じた。彼はボードレールを自分の先駆者だと感じた。―R.M.リルケ『ロダン』(高安国世訳)
***
さて、明日で2022年も終わりです。私は編集部でおもに毎月の校正のとりまとめを担当しているのですが、今年から初校の会場に埼玉と滋賀が加わり全国8ヶ所になりました。コロナの影響などで、各地とも少人数で大変ななか作業してくださっています。毎月の詠草は読みやすい字で、また旧仮名の方は投函前にかならず、仮名遣いが正しいかどうか辞書などでご確認をお願いします。
今年も1年間、ありがとうございました。
よいお年をおむかえください。