ブログ

アーカイブ "2022年04月"

首都圏のある駅の構内、改札近くの写真です。
私は最初に、写真の中央に写っている、紙箱に
眼が止まりました。あれ、これは何? 要らなくなった
切符を投げ入れるため? まさかね・・・。

そして少し上を見上げて、納得しました。
天井近くの突起物の上に、燕が巣を作って
いるのです。耳を澄ますと、子燕らしいぴちょぴちょ、
とせわしい鳴き声も聞こえます。

利用者に「落とし物」がかからないように、駅員さんが
箱を張り付けてくれているのですね。ああ、いいなあ、
と思い、写真を撮ってしまいました。そういえば多くの
乗降客の頭上を燕が往来しているのを見たことがあり、
この駅の構内は、意外と東西に長いのに、こんなところまで
餌を捜しに来るのか、と思っていたのですが、餌を
やりに来ていたのですね。見えない子燕の姿をしばし
想像しました。

  梅雨晴れの二階の店で飲茶するツバメの親子と同じ高さで
              橋本恵美『のらねこ地図』

先回のブログでグランマ・モーゼスについて
ご紹介しましたが、その展示が行われた世田谷美術館の
最寄り駅は田園都市線の用賀です。そこからバスが出て
いるのですが、あまり本数は多くなく。駅で降りると
ちょうど出た後。徒歩18分ほどと聞いていたので
歩いていくことにしたのです。すると・・・。


             
美術館のある砧公園まで、用賀いらか道、という
遊歩道が続いていて、その道に、なんと百人一首が
彫ってあったのでした。面白い、と思い撮影することに。
でも結構人通りもあり、建物や木々の影が写り込んだり、
なかなか綺麗には撮れなかったのですが。

ちょっと優雅でしょう。そうこうするうちに、砧公園に着く
というわけなのでした。皆様も機会があれば一度
お出掛けください。お次は二か月前の砧公園の様子。
まだみんな裸木だったんですね。

グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)との愛称で
知られる画家アンナ・モーゼスについて初めて知ったのは、
1980年代半ば、滞米中に通っていた図書館の画集を見たとき。
当時、日本ではあまり知られていなかったでしょう。
美しい色彩、そして素朴なアメリカの暮らしそのままが
丁寧に描き出されていて、心惹かれたのでした。

あれからずっと、まとまった作品を見ることなく、気には
かかっていたのですが、ようやく日本でみることができました。
二カ月余り前、東京世田谷美術館で。

彼女は、七十代半ばから本格的に絵を描き始めるまで、普通の
農家の婦人だったのです。関節炎が悪化して好きな刺繍が
できなくなり、やむを得ず絵に転向。やがてNYのコレクターに
見出されるのですが、その時はすでに78歳になっていたそうな。

そして百歳まで現役で絵を描きつづけるのですから、高齢者活躍時代を
先取りするような人生だったのですね!でも、ほとんどが記憶を頼りに
描いた絵だそうなので、とびっきり記憶力の良い方だったのでしょう。
砂糖楓の樹液から砂糖を作る作業を描いた絵もあり、バーモント州で
の楓糖が有名ですが、彼女が暮らしたNY州でも行われていたのだ、と
この絵から知りました。

  搬ぶ人、煮詰める人ゐてうごきだす「砂糖作り」(シュガリング・オフ)
  の絵の冬景色      遠藤たか子「短歌研究四月号より」

三年ほど前の五月、高尾の林道を歩いていた折、
足元にみつけたこの白い蝶、いや、蛾。調べてみると
キアシドクガ。毒蛾とは名だけで、毒はないとのことです。

初夏の頃に大発生するらしいです。この日に見かけたのは
一匹だけで、しかももう息絶えているようでしたが。
小さな生き物が、ひっそりとしていると、わけもわからず
遠い日のことが思い出されたりして、ちょっと切ない。

 少年期のわが虐待を逃れ来し蝶かも知れずこの襤褸の蝶
             荻原裕幸『甘藍派宣言』

高尾は新緑の美しい季節を迎えているはず。
コロナ以前は、多くの観光客などで賑わっていた駅前。
早く、かつての日常が戻ってほしいですよね。

ロシアのウクライナへの侵攻が始まって二カ月。
二十一世紀に入って二十年以上も後に、このような軍事進攻が
起きるとは・・・。驚き、その惨状には目を覆うばかり。
ウクライナの人々が面している窮状に胸が痛み、
そして遠い戦争が世界にもたらす様々な影響にも思いを馳せました。

ロシアは、世界一の小麦輸出国(すべて2019年時の資料による)。
ウクライナは世界五位。一方、日本は世界第八位の小麦輸入国。
日本以上に小麦を輸入している国が七か国にも及ぶことに驚き、
その第二位に、小麦の故里ともいえそうなエジプトが入っている
ことに、さらに驚く。そして一位の国を見て・・・。
むむむ、そうか、そうだろうなあ、と私はあまり驚かなかった。
1096万トン以上もの輸入量は、日本の533万トンの倍以上。
世界最大の輸入国は、インドネシアなのである。
お米の国のイメージだったけれども・・・。

写真は、十年余り前に訪れた、ジョクジャカルタの市内での写真。
これがインドネシア! と驚く人もおられるはず。市内に展開する
パンのチェーン店、Bread Talkでは、様々のパンが並び、一日中、
トングを手にパンを選ぶ人で溢れていました。小麦を多く国外に頼る
アジアの国々では、今回の戦争は、大きな経済的痛手になるはず。
「小麦がないなら、お米をたべればいいじゃないか」ですが・・・。

パンの文化がかなり浸透してしまっていて、難しいかも。
ちなみに、これって、アンパンマンのパクリ? と思われる商品も。

戦から胃袋、って真中さん流の頭韻を踏んでみたけれど。
この戦争を機に、遠い小麦の国へ思いを馳せた方は多かったようです。
  向日葵と小麦の大地に春近し銃を持つ手に種は播けない
              加藤宙(22.4.24朝日歌壇より)

あまり見たことがなかったが、こんな真っ黒な蜂もいるのか。
そう思って写真を撮っておく。

撮ってから調べてみると、これはどうやらタイワンタケクマバチ。

国立環境研究所の「侵入生物データベース」によれば、(和名にはタイワンとあるけれど)移入元は「大陸中国と考えられている」であり、侵入経路は「輸入された竹材への混入と考えられている」のだとか。

近年、生息範囲を広げていて、上記のデータベースでは中部日本から奈良・京都・兵庫まで赤く塗られているけれど、大阪では確認されていなかった。それがいよいよ大阪にも増えてきたということか。

あはあはと苺(いちご)の花のにほひゐて黑き蜂こそまつはりにけれ/齋藤茂吉『霜』

 
当然ながら茂吉の時代にの「黑き蜂」は、これではない。
在来種も黒いものはいろいろいて、キムネクマバチなどは攻撃的ではないのだが、タイマンタケクマバチは、キムネクマバチと勢力を争う可能性があり、いくらか攻撃性も強いのだとか。

ヒキガエルとトノサマガエルをじっくり比較してみよう……そう思ったのだが
あれこれ図鑑とか解説とか読んでゆくと、どうもこの写真を撮った場所(北関東)にはトノサマガエルはいないらしい。

では、おまえさんは誰?


 
ヒキガエル(ガマ)でなければ、トノサマ。あとはアマガエル、カジカガエル、ウシガエル、モリアオガエル……ぐらいに思っていたが、関西ではヌマガエルに出会うことになったし、この年齢になるまで知らなかったことはいろいろある。
どうやら上の写真は アカガエル (またはその仲間)であるらしい。
赤くないけれど、そんなもんだろう。
背中がわりあい平たくて二つの筋が見える。黒っぽい斑紋は脚のほうにある。
 

こちらはヒキガエル。
 
水面が動いて、そこにいることがわかった。
 
足元からぴょん……というのも多いか。
 

ぐるりんと目が動くから見つけたよ苔の色した小さな蛙/吉川敬子

 

気温が上がると虫たちの活動も活発になる。
じっとしていてくれないから写真を撮りにくい。
写真に撮れないと(素人には)同定が難しい。

同定しないと歌材にならないわけでもない。写真を撮るよりも、肉眼でしっかり見て感じるほうが大事じゃないか。そういうことも思うわけだが。


ソラマメの花にやってきたミツバチ。おおかたセイヨウミツバチか。


こちらはアブ。ヒラタアブの類。


アシナガバチが脚立の天板の裏に巣をつくりつつあった。
アシナガバチの誰? キアシナガバチあたり?と思案しながら見ていたところ、その家の女主人に即座に殺虫剤をかけられてつぶされてしまった。

かわいそうに。

よく見ると、それぞれの小部屋に卵がある。
拡大してみよう。

 
 

こちらはたぶんアシブトハナアブ。


アシブトハナアブを正面から。えらく口が太い。

山の中の朝のひかりやありのままの眠よりさめし虻の音蜂の音/岡部文夫『寒雉集』

虻・蜂の音がうるさく感じるのは早朝とは思えないが。


 
少し前に「葱、根を張る。」というので、ベランダのネギを紹介したが、
そのネギに花が咲いた。
 
この段階になると、葉は固くなって、あまり美味しくない。
小口切りに刻んで薬味にすればいいかと思ったが、それもごそごそ固い。
 
ぼちぼちおしまいということか。
 
あるいは、土を変えてやればふたたび柔らかい葉が出るか。

長く続けるかどうかはわからないが、一度ぐらいは植え替えをしてみても
よいかもしれない。
 

自らの体臭のごとく匂ふなり葱坊主揺るる畑の畦に/大塚洋子『半開きの門』

 
香があってこそのネギ。

ページトップへ