ブログ

こんにちは、小川和恵です。

先週、このブログで岡部史さんが 街歩き・札幌 という記事を書いておられましたが、その1枚目の自動販売機の写真に大変驚いてしまいました。

というのは

これは私の地元近く〈住道〉のもの

これは毎週のように行っている〈難波〉のもの

記憶が定かではありませんが、どちらもかなり前から設置されているもので、私にはとても見慣れたものでした。
少なくとも〈住道〉のものは、10年か15年くらい前からはあるのではないでしょうか。
(そしておそらく、〈難波〉のものも同じくらい前からあるような気がする)
なので、岡部さんが札幌で遭遇されたということに、本当にびっくりしたのです。
勝手に近畿圏だけのものではないかと思っていたので。

むかーし聞いた話では、この自販機は大阪府下でも3箇所だか4箇所くらいしかないということでした。
そのうちの1つがよく見る〈住道〉のもので、もう1つがやはりよく見る〈難波〉のものだということが、なんだか不思議な感じがしていました。
これを書くために調べてみたところ、今では大阪府下だけでも相当数あること、そして確かに全国展開であることが分かりましたが。

この自販機の下の方に

 Do not drink. This is a soup stock.

と書いてあるのも、なんだか笑ってしまいます。

で、その10年だか15年だか前からずーっと気にはなりつつ、実は一度も購入したことがないんですよね…
一度試してみたいとは思っているのですが。

ちなみに「私の地元近く」と書いた〈住道〉って、なんと読むと思いますか?
知らない人は、まず一発では読めないと思います。

正解は
 ↓
 ↓
 ↓

 すみのどう

でした。
この「住道駅」がある学研都市線(片町線)は、何気に難読駅名が多いんですよ!
興味がある方は、調べてみてください。


京都合同忘年歌会
京都歌会・京都旧月歌会・京都平日歌会の合同の忘年歌会を下記の通り開催します。
懇親会も行います。皆さんふるってご参加下さい。
*上記三歌会以外の方もご参加下さい!!
(詠草〆切が12月6日となっております。ご注意下さい。)

【日時】12月21日(土)13時~17時(終了後、懇親会あり)
【歌会会場】京都教育文化センター
      *京阪電車「神宮丸太町」駅5番出口から徒歩3分
【懇親会会場】池田屋 はなの舞 三条駅店
      *京阪電車「三条京阪」駅7番出口から徒歩5分
【会費】歌会は無料。懇親会は4000円~5000円(予定)
【申込】詠草1首をメールかはがきで12月6日(金)24時までにお送り下さい。
    懇親会の参加/不参加も明記して下さい。
【宛先・問い合わせ先】〒611-0028 宇治市南陵町1-1-142 川本千栄
メール EZS01212@nifty.ne.jp

今朝の朝日新聞一面の「天声人語」は、織物の魅力に
取りつかれるきっかけになったのが、四半世紀前にフィリピンの
ピーニャという布の織手を訪ねたことだった、とのエピソードで
始まっている。ピーニャ! 私にも懐かしい言葉である。

もう六十年も前のことになるが、中学に入学したばかりの頃、
父が一か月近く、仕事でフィリピンに出かけた。お土産に
数十枚もの、スカーフやハンカチを購入してきた。透き通るほど薄く、
光沢がある。いずれも南国を思わせる風物の刺繍が、手作業で
施されていた。父は広げて見せてくれて、
「パイナップルの葉の繊維から作られているんだ」と教えてくれた。

私も一枚欲しい、と思った。でも父は周囲の知人や親族にお土産として
渡しながら、私と妹には一枚もくれなかった。普段どこに行っても
お土産があったので、私には不思議なことだった。

五年前に父が亡くなり、やがて母も施設に入り、実家を整理していたら、
あの懐かしいピーニャのスカーフが一枚だけ出てきた。

今手にとって見ると、本当に薄く、実用品としてはどうなのか、
と思ってしまう。父も子供には不要なもの、として最初から
私たちに渡すつもりはなかったのだろう。父が亡くなって、
ようやく自分のものになったこのスカーフを、私は大切にしている。
必要なものはもう、自分で何でも買えるようにはなったけれど。 

膝の上にひろげむとして泳ぎ出す金魚の刺繍のストールを買ふ
               栗木京子『けむり水晶』

ピーニャは今ではとても入手しにくくなっているらしいし。

10月中旬に訪れた、札幌でのエピソードを、もう少し。
歌会の日の午前中は時間があったので、少し市内を散歩しました。
真っ先に目に飛び込んできたのは、不思議な自販機。私は自販機、
というと、お茶くらいしか買ったことはなく。 

自販機で買った緑茶がへこんでるゴールデンウィーク最終日
                逢坂みずき『昇華』

あの、ゴロゴロ、ドスン、という独特の音が聞こえそうな歌ですね。
ところが、札幌の街角で見た自販機は何を売っていたかというと、

料理用の調味料らしいのです。ここは札幌駅にも近い、ホテルやオフィスや、
居酒屋などが並ぶ、いわば繁華街。コンビニも近くに何軒も。それなのに、
どうして、お出しの自販機があるの!? 誰が買うの!? と訊きたい!

首を振りながら、さらに少し歩を進めると、ホテルの前に不思議なオブジェが。
とよく見ると、だるまストーブ?の一種のようでした。そういえば、これに近い
(こんなに立派じゃない)石炭ストーブ、私の通った田舎の小学校で使ってたような。

更に歩くと、かの狸小路に辿り着きました。アーケード商店街です。すると、
あちこちに狸の像が置いてあるのに気が付きました。中には、ちょっと驚きの
迫力を備えたものも・・・。

この商店街で、昼食を摂りました。もちろん、札幌ラーメンでございます。

先日、目白の椿山荘で開かれた、大学の同期会に参加してきました。
卒業十年ごとに開かれていたらしいのですが、一度も参加しておらず。
これからの参加もないだろう、と思っていたのですが。今夏、身近の
親族を失ってから、心境に変化がありまして。

椿山荘に行くのも初めて。ついでに、長いこと一度行ってみたい、と
思っていた、聖カテドラル教会を訪れてみることにしました。この教会は
丹下健三の代表的な建築物として有名なのですが・・・。

そそり立つ塔のような建物で、私の撮影技量では、なんとも捉えがたく、
間の抜けた写真しか撮れませんでしたデス。私がこの教会のことを
長く心に留めていた理由は、実は歌手ユーミンのある楽曲のせいです。
76年3月発売の「翳りゆく部屋」。バロック調の印象的なイントロは、
松任谷正隆がこのカテドラル教会のパイプオルガンの演奏による、
と後に購入したYUMING SINGLESの解説で知ったからです。

 話すことなどとっくにつきた高速で窓から漏れる夜風を聞いた
                 初夏みどり「塔十月号」

この作品に、永田和宏氏が選歌後記で「ユーミンの『中央フリーウエイ』がふと
過ぎる・・・」とコメントされていて、思わず笑いました。ユーミンが創出した
多くの楽曲と楽曲の描き出す映像を、我々同世代は共有している、と改めて思い。

敷地の隅に、フランスのルルドの洞窟が実物大で再現されていて、
こちらはそれなりにうまく撮れました。

高校に入学したばかりの頃、北海道に移り住んだ親族から、
10枚組くらいの絵葉書セットを贈られた記憶があります。道内各地の
観光地の絵葉書一枚ずつに、啄木の歌が添えられた絵葉書でした。
私は当時、啄木というと「ちょっと情けない歌を詠む人」という印象で、
好きではなかったのですが、その何首かに強く惹かれた記憶があります。
 

しらしらと氷かがやき/千鳥なく/釧路の海の冬の月かな
 さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき
 みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな
                        石川啄木

特に好きだったのが
 

函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花
                        石川啄木

で、この歌になぜ惹かれるのか、と考え込んだ記憶もあるのですが。
それで自分でも詠んでみようとは、ならなかったので、絵葉書の美しさ
などの印象の方大きく作用していたのか、と思うのですが。

こんな昔のことを思い出したのは、札幌の大通を散策し、啄木の歌碑に
出会ったからでした。

この歌碑の歌は 
 

しんとして幅広き街の/秋の夜の/玉蜀黍の焼くるにほひよ
                      石川啄木

そして少し歩くと、絵葉書で見たと同じ景色が目に飛び込んできて・・・。
まさに啄木の歌とセットで覚えていた景色でした。

十月の第二土曜日に開催された札幌歌会に、選者派遣として参加して
きました。会場は、北大のすぐ近くなので、歌会の前に、少し構内を散歩
させてもらうことに。本当に広いので、ぼんやりしていると歌会に遅刻して
しまいそう。農学部の周辺だけを歩くことにしました。

大きな木の間を、ゆったりと小川が流れていて、「え、ここが学内?」と
疑ってしまいそうなほど、豊かに広いのです。土曜日のせいか、学生よりも
部外者とか、遊びに来た子供達(ハロウイーンの服装をしていた)の方が
目につくくらい。観光客らしい人に「クラーク像はどこですか?」と、私の方が
尋ねられてしまいました。私、一度前に来ているので(って、半世紀も前ですが)
「あのあたりかな」と指さすことはできました。

歌会後は、札幌歌会の人たちと、夕暮れのなか、北大構内を北から南へ縦断して
二次会の会場へと歩いていきました。日はたちまち落ちて、真っ暗になりましたが、
若い人達の声があちこちから響いてきて、大学は良いなあ、としみじみ思いました。
今回は自作を引かせて頂くことに。 

キャンパスの日照雨(そばへ)のなかを永遠の学生のやうに学生が往く
                        岡部史

                
                     

岡部史です、こんにちは。
もうだいぶ前のことになってしまったのですが、7月上旬~9月上旬にかけて、
東京の世田谷美術館で開催されていた須田国太郎展を観に行ってきました。
須田国太郎(1891~1961)は、京大で美術史を専攻し、二十代半ばには
スペイン美術を研究するためにマドリードに留学するのですが、その頃から
自分で絵画制作する方に関心が傾き、以後、黒を基調とした独特の画面構成で
画家としての頭角を現すようになったようです。やや遅い出発だったのですね。

この画家については私はほとんど無知だったのですが、今春、国際短歌協会(ITS)
の総会で知り合った川上幸子さん(短歌人)が、展示のための作品図録の英訳を
担当、私に招待状をお送りくださったことが、興味を持つきっかけになりました。

絵は勿論ですが、須田画伯は、なんと、グリコのおまけの収集家としても
知られていたのですね。私もほんの少しですがお気に入りのおまけを大事に
持っていたことを思い出して、懐かしくなりました。展覧会ではその展示もあり

つい、じっくりと見入ってしまいました。私が持っていたおまけに近いものも
あったりして・・・。

実家の庭先。

籠の中に餌があるかどうか見に来た。
シジュウカラと、それからヤマガラも来る。
ヤマガラのほうがあつかましく、残り少なくなってくると「ぢいぢい ぢいぢい」と啼いて要求する。

鳥の専門家に言わせると、あまりたくさん与えてはいけないらしい。
やはり、自分で餌を見つける力をつけなければ。
 
(歌の題材も自分で見つけなければ)


 
餌はヒマワリの種。
くちばしでつまんで、近くの木の枝の上で殻を割って食べる。
 
枝にとまる足で固定して、くちばしで高速打撃を加え、じょうずに殻を割る。

食べ終わると、また、元気な声を上げる。

みちのくのごとく空澄み四十雀の元気のこゑは北の窓より/花山多佳子『三本のやまぼふし』

関西に戻ってくると、やはり青空が靄っぽい。
晩秋から冬にかけての関東の青空は青いが、北のほうに行けば、さらに青い。

理屈を言えば水蒸気量とか、大気層の厚さとか。

ページトップへ