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\塔短歌会70周年記念大会/
「現代短歌シンポジウムin京都2024」を一般公開!
9月1日(日)12:50〜
テーマ「現代短歌へのアプローチ」
於:京都芸術大学
講演 町田康
対談① ピーター・マクミラン×吉川宏志
対談② 是枝裕和×永田和宏
参加費2000円
以下のリンクからお申し込みください。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfFrQBfpqzsXzw7mi-QcQVO6y3njVnVWtTwRaZEoOb3W1h3lg/viewform

 


約1か月前の2024年6月11日、アメリカの児童文学作家、
ルース・スタイルス・ガネットさんの訃報が伝えられました。
享年100歳とのこと。
とても驚きました。
驚きの一番大きな部分は、失礼ながら
「まだご存命だったんだ!」ということです。
何しろ私が従兄の本棚から『エルマーのぼうけん』を
もらって読んだのが小学生だった1970年代。昭和40年代です。
その時にも「これはかなり古いお話なのだな」と思いました。
挿し絵の冷蔵庫がとてもレトロなのでそう思ったのでしょう。
勝手に作者をとても昔の人と思っていました。

そして1990年代、就職してからですが、
『エルマーのぼうけん』がアニメ映画になり、
幼い姪っ子を連れて見に行きました。
原作に忠実ないい映画でした。
写真のパンフとキーホルダーはその時のものです。

子供時代に親しんだ児童文学には女性の書き手が多く、
古くは『若草物語』のオルコットから、『赤毛のアン』のモンゴメリ、
『長靴下のピッピ』のリンドグレーン、『ムギと王さま』のファージョン、
『ムーミン谷』のトーベ・ヤンソン(←これだけは大人になってから読んだ)
などの作品を楽しみました。
彼女たちはシリーズものを書くなど、結構多作です。

でもこのガネットさんは『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』
『エルマーと16ぴきのりゅう』の三作しか書かれなかったそう。
「お母さん」になるのが夢だったそうで、
7人の娘の母としての生活を大切に生きた、とのことです。

児童文学の作者からお母さんになり、さらに、お祖母さん、ひいお祖母さん、
として過ごされた100年間を想像しています。
ご冥福をお祈りします。

もうすぐ全国大会!
塔会員の皆様はもう申し込みはお済ですよね?
今年の塔全国大会2日目、一般公開プログラム
「現代短歌シンポジウムin京都2024」の
ゲストは超超超豪華!!

作家・町田康の講演
翻訳家ピーター・マクミランと吉川宏志の対談
映画監督是枝裕和と永田和宏の対談(敬称略)

これが2000円なんて、いいんでしょうか??

塔会員以外の方をお誘いするため、本日事務所開所日を利用して
有志の方々とDMを作成いたしました。
郵送には全国の会員の方から頂いた切手を使用させていただきました。

このチラシのデザインのカッコいいこと!!
塔の歌会にご参加の方、歌会で配布しますので
塔以外のお友達にお渡し、お誘い下さいませ。

今日は七夕ですね。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
七夕は雨が多いような気がしていたのですが、
今年のわたしの七夕は晴れてとても暑いです。
暑いので、とりあえずおいしいもの食べて元気を出す。

最近食べた生しらす丼。
おいしいものの記憶で元気を出す。

今日はこれからオンラインで歌会です。
七夕なので、普段なかなか会えない人たちと歌会。楽しんできます。

遅れ来しあなたの隣りは空席の七夕歌会また雨となる   河野裕子『歩く』

 
雨がよかったわけでは決してないけれど。
それにしたってこんなに暑くなるとは思わなかったなあ、七夕。

うちの近所の猫のお話なんですけどね。
去年の夏、宿無しの猫がしばしばうちの玄関の前でくつろいでいて、わたしが家に入ろうとしてもなかなかどいてくれなくて。無理矢理玄関を開けようとすると、すごい顔して怒って。気の弱いわたしはとても困ったものでした。
うちの玄関がこの猫にとって、暑さをしのいだり、雨をよけたりするのにちょうどよいらしく、

昨日より十度も低い公園の昨日と同じ場所にいる猫   /  杉田菜穂「塔」2024年6月号

まさにこんな感じで、ちょいちょいやって来るのでした。
その後、面倒をみてくれるすてきな家族がみつかったらしく、うちの玄関の前で寝ることもなくなり、ほっとしたような、ちょっとつまらないような。

と思っていたら、今年も遭遇しました。うちの玄関ではないけれど。

相変わらず険しい表情。
でも、近寄っても怒らない。
去年よりきれい。毛もふさふさして。
へー、よかったなあ。
ものすごい不機嫌そうな顔してるけど、しあわせなんだよね?
よかったじゃん。
元気で暮らしなよ。
じゃあね!

ご存じの方も多いかと思いますが(特に以前からこのブログをご覧になっている方)、私はミシンで服を縫ったり、小物を作ったりするのが大好きです。
手芸店に行ったり、インターネットショップを見たりしていて、きれいな、かわいい布が見つかると、つい買ってしまうこともしばしばです。
「これを作ろう」と目的を持って買うこともありますが、「きれい」「かわいい」だけで買ってしまい、後からその布を眺めて「さて、この布で何を作ろう」と考え出すこともよくあります。

何かを作った後、必ず出るのが「端布(はぎれ)」です。
裁断した後の、実に中途半端に残った布。
でも、もったいなくてとても捨てられないので、そのほとんどは専用の箱に入れてとってあります。

いわば「延命」させているような状態なのですが、実は、それらを利用してちょっとしたものを作るのも、とても楽しかったりするのです。
最近、そういった端布を使ってよく作っているのが、これです。

小さなバネ口を使った、テトラ型のぱくぱくポーチです。
バネ口の長さは約5センチ。
本当にちょっとしたものしか入りませんが、バックの中などで意外と重宝します。
私は耳栓を入れたり、熱中症予防のタブレットを入れたりして、利用しています。

端布と端布をうまく縫い合わせて作っていると「端布のいのちをつないでいるんだなあ…」という気持ちになってきます。
ちょっと大げさですが。

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さてさて、塔会員のみなさま
6月号には「塔の便利帳」が挟み込まれていたと思います。
ひじょ~~~~~~~に重要なルールなどが記載されていますので、今一度熟読のほどお願いいたします。
正直に申し上げて、例えば「歌稿作成・送付」の欄に記載されているルールを守らない歌稿(詠草)が未だにあって、受付の方や選者の方、校正を行う方が大変思いをしています。
「こんなこと分かっているわ」と思わずに、もう一度確認してみてくださいね。

それから、全国大会(2024.8.31~9.1 京都)の申込も始まっています。
こちらは、7月5日が申込締切ですので、どうぞお早めに。
出来れば申込フォーム(6月号裏表紙にQRコードを掲載)からの申込をお願いいたします。

初めて沖縄を訪れたのは、大学を卒業して間もない頃。
沖縄が本土に復帰して三年後くらいの11月です。
国際通りなんか閑散としていたし、那覇でも外れの方を歩くと、
南国の小さな漁村に居るような雰囲気もあって、心が洗われ・・・。
あれから、さほど間を置かずに、沖縄を訪れ続けています。

コロナ禍でしばらくいけなかったけれど、今春、ようやく行けました。
食べ物もとても美味。こちらは、お魚のマース(塩)煮。

また、今回は初めて「ガンガラーの谷」を訪ねてみました。こちらは、
個人で訪れることが禁じられていて、予約をしてガイドさんと一緒で
なければ、足を踏み入れることができないところなのでした。
渓谷になっていて、古代の人が住んでいた跡もみつかっていて。
樹木が凄い。沖縄を訪ねる度に植物の力に圧倒されるのだけれど。
ガイドさんが「ガジュマルは気根を地に降ろし、やがて根を生やし、そして
移動することができる、つまり、歩く木なんです」と教えてくれたことが
強く心に残っています。

Twitterで知ることがありガジュマルが先にあなたと同居するらし
                   中井スピカ『ネクタリン』

最近は観賞用に鉢で育てられるガジュマルもあるんだ、って、
この作品で知りました。

優れた随筆で知られる白洲正子が、夫次郎と三人の子供と共に
南多摩郡鶴川村(現・町田市)に家を購入、都心から移り住んだのは昭和15年。
近づく戦禍を敏感に感じ取ってのこと、かもしれません。当時はまだ農村、
彼女は初めての自給自足的生活に嬉々として打ち込み、その様子は
『鶴川日記』に記されて残されており、亡くなるまで暮したその家は、現在、
「武相荘(ぶあいそう)」として、一般に公開されています。
我家から近いので、先月、友人を誘って訪れてみました。

大きなかやぶき屋根の母屋。奥にある正子の書斎だった日本間(撮影不許可)には
多くの書籍が、天井近くまである書棚に収められていました。歌集や歌書の類も。

正子は『鶴川日記』で、鶴川近辺(現在の町田市、相模原市、横浜市北部など)
には、大和(奈良県)に関係のある地名が多い点を指摘しています。

  町田市周辺には、大和、奈良、岡上、三輪、小野路・・・など大和と関係のある
  地名が多い。武蔵に国分寺が立てられた時、大和から移ってきた人々が、故郷を
  懐かしんで名付けたものに違いない。・・・香具山古墳からは、十九基の横穴が
  発見され、多くの副葬品もでているが、その一つに人物と、馬を彫った線描画が
  ある。・・一帯に、牧(古代の牧場)が存在したことを語っており、・・・
  そのあたりを通るたび、遠くかすかに防人(さきもり)の妻の悲しい歌声が
  ひびいて来る。

と綴り、万葉集から次の歌を引いています。

 赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆかやらむ
        『万葉集』巻二十 4417  

日本に初めて鉄道が敷設されたのは、明治五年(1972年)新橋ー横浜間。
つい四年前には戊辰戦争を戦っていたことを考えると、明治の歴史は
本当に変転激しく、スリリングに感じられるくらいですね。
日本初の鉄道発祥の地を記念し、新橋駅前には大きな機関車が展示されてます。
格好の待ち合わせ場所になっていて、いつも回りに人が群がっていて・・。
撮影にちょっと苦心しました。渋谷のハチ公に比べると、かなり少ないのですが。

徒歩数分の所に新橋停車場跡地があり、今は鉄道歴史展示室になっています。

この撮影日、残念ながら時間がなかったのですが、誰でも無料で見学できるらしい。

さて、現在「塔」の東京歌会の会場として使われている生涯学習センター「ばるーん」は
この新橋の駅ちかくにあります。

 海抜2,3メートルと記されたけふの歌会の門をくぐれり
      宮地しもん(2024年6月横浜歌会の詠草より)
       <註;作者の許諾を得て掲載しています>

新橋は海に近い、というか、都心全体が海抜の低い地にあるのですよね。
2011年の東日本大震災以来、私たちは「海抜」に敏感になってしまった、
とあらためて思わされる作品でした。

岡部史です、こんにちは。
初めて小笠原・父島の「くさや」をお土産に頂いたとき、その匂いの
強烈さに驚いた記憶があるのだけれど。母島産の「くさや」はさらに強烈とか。
人間は凄い食べ物を創造するもんだ、と、半ば呆れたのですが。
他国にはさらなる「臭い食品」があって、例えばスエーデンの
シュール・ストレンミング。缶詰とあり、家族が旅行した折購入してきました。

屋内では開缶しないようにと注意されたそうで、庭で開けることに。
開缶直後は凄い匂い、たぶん、父島くさやの数十倍。
少し収まってから食卓へ。見た目は普通の魚(ニシン)。味は強烈な塩辛さ。

 缶の中では空気が豊富に存在する発酵ではないので 嫌気発酵という特殊な発酵が
 起こり、発酵菌は異常な代謝を起こすことになり 強烈な臭みが生じてくる・・・
                     小泉武夫『発酵食品礼讃』

ということらしい。ニシンは北欧の人々にとって、貴重なたんぱく質として
その食生活を長く支えてきており、日本人には想像できないほど、多様な
料理が生み出されてきたようです。生ニシンを挟んだサンドイッチもあるし。

 妻も吾もみちのくびとやニシン食ふ 山口青邨

当時、元気だった我が犬も「あれ、何の匂い」と顔を出し、その横には
水仙が咲いていました。ちなみに、ニシンは春の季語。

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