柊
あるとき、歌会で「ヒイラギの花の香り」という作品の批評に「誰も気づかないようなことに気付くのはすごい」といって笑われたが、知らなければ、興味なければ花が咲いているとも気づかないものだ。
秋のおわり~冬のはじめのヒイラギは良い香りの花をつける。
ヒイラギはモクセイ科。ギンモクセイと交雑して「ヒイラギモクセイ」などというのもあるが、蘂がつんつん出ているのはヒイラギと見てよいようだ。
ひひらぎの白き小花(こばな)の咲くときにいつとしもなき冬は來むかふ/齋藤茂吉『暁紅』
いま、君を帰したあとで柊の花に気づいた、ほら、門のとこ/千種創一『砂丘律』
香りよき花よと言ひて寄る娘等に柊の花と教へやるべし/佐藤千廣『風樹』
冬がやってくる。花の香りというのは、だいたい季節を感じさせるもの。どこからが晩秋でどこから初冬なのか、寒波のあとに小春日和が来たりもして判然としないが、それでもヒイラギの花が咲けばやがて冬。
モクセイ科だが、キンモクセイに比べてギンモクセイの香りが淡いように、ヒイラギの香りもそれほど強くない。だから「君を帰したあとで」気づく。さっき気づいていたらそれも話題にしたのに。君といっしょに顔を寄せて香りを楽しんだのに……という千種作品。
3首めの作者は私の高校の恩師。前後の作品からすれば「娘等」は女生徒。目立たない植え込みの花に初めて気づいたのだろう。この歌集は私たちの在学期間を含むから、いろいろと思い当たるところもあったりするのだが。
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冬がはじまるといえば、街のかざりは、もはやクリスマス。
クリスマスの飾りとして、ヒイラギが使われることがあるが、あのヒイラギというのは別物。モチノキ科のセイヨウヒイラギとかアメリカヒイラギというもの。
これも近所で見付けたので写真を撮ってみた。
柊の飾りすがしき聖夜の町さらぼふ犬とわれと歩める/岡野弘彦『滄浪歌』
紅にひひらぎそよご色づきて冬の祭りせむ幼は遠し/土屋文明『続々青南集』
岡野作品の「柊の飾り」は、生木のそれかどうかわからない。町の飾りは、いろいろとつくりものもあるだろう。
土屋文明のほうは「ひひらぎそよご(柊冬青)」という言いまわし。これは「冬青」がモチノキを意味し、とりわけ赤い実をつけるソヨゴのこと。幼い子どもたちのためにセイヨウヒイラギを植えたのか。その実が色づくころになってクリスマスの時期ではあるが、その子の親たちも忙しく、幼い子も成長してなかなか老人の顔を見に来ない。
じつは、初夏のころに、別の場所ではあるけれどヒイラギにしたはちょっと違う……なんだろうこれは?と思って写真を撮ってあった。このとき調べてヒイラギとは別種のセイヨウヒイラギがクリスマスの飾りの赤い実をつけるということを知ったのだった。
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ところで、ヒイラギの歌にどんなものがあるかと、あちこち探していて見付けたのがこんな作品。
ひひらぎは葉の棘消えておのづから老木となる神のやしろに/小池光『滴滴集』
ひひらぎの円き末葉も心にしむこの古庵に君が幾年/土屋文明『続々青南集』
これも知らなかったが、モクセイ科のほうのヒイラギは古木になると葉の縁の棘がなくなるのだという。
そうなると、これはもうモクセイと区別がつかなくなる。