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毎年のことだが、郷里に帰って柿農家をやっている元上司から柿をいただいた。ありがたいことです。

柿は果実を食べるほか、「柿渋」が塗料・染料・防腐剤として用いられ、木材も有用。「柿の葉寿司」では葉まで使う。人の生活に近いところにあったためか、「猿蟹合戦」をはじめとして、いろいろと比喩、寓意のネタになりやすいものでもある。

中村憲吉の、歌集に入っていない作品に「財界諷詠」というシリーズがある。「サンデー毎日」の創刊直後「大正十一年十月二十九日より大正十二年四月二十二日まで」で、ちょっとしたコラムのようなスタイルで連載していたものだろうか。

   いかしく脹れたる國の費をほぼ三億圓つづめ、十二億圓にて國を賄はむ
   とぞ、上下に誓ひて任に就ける大藏の大臣あり。さてなむ、年の秋にい
   たりて豫算と云ふものを査定しけるに、その節約さきの半ばに及ばず。
   もとより有るべき筋ならねば、大臣いたく驚きいぶかりて宣給ひける

夜な夜なに誰盗(と)りけらし家の木に熟(う)れたる柿はいくらのこらず

   密かに腹滿ちて嗤ふものに某の政黨あり

隣びと狡(こす)く睦(むつ)びぬ晝は來て木の柿をほめ食ひたらひける
柿守(かきもり)は木をよくまもれ然れどもとなりの垣は結(ゆ)ひわすれたり

   うたてや各々の司の豫算を奪ひ合ふ有様は

裸木(はだかぎ)に柿ののこり實乏しけど啄(つひば)むからす下(お)りてさわげり

柿の実が熟すのを楽しみにしていたのだが、いつの間にか隣人が「美味しいですなあ。いつもありがとうございます。」と言いながら食ってしまった。カラスもまた柿をねらっていたのだが……というような。
「いくらのこらず」は、おそらく「いくらものこらず」ということ。誤植かもしれない。

時期から言って関東大震災の直前。この頃の国政はどうだったのか……というのを辿りながら読むのも面白そうだが、緊縮財政と景気維持はいつの時代にも難しい舵取りが必要になる。
だから、今も昔もそんなに変わらない……というような感想も持つ。

もっとも、お前さんは誰なのかと言われれば「からす」であったり「からす」に生活を託している者であったりする。

なかなかに、渋みのある(「渋い」ではなく)話だ。

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