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アーカイブ "2010年10月"

高安さんの第9歌集『朝から朝』を読んでいたら、あとがきにこんな一節があるのに気が付いた。
私はこの歌集の中で、たとえば欅をうたったものや紅葉をうたったものに、従来の私をぬけ出た詠風を得ているようにみずからは思っている。それがどういうことであるかは、しかしみずから説明しない方がよいだろう。作者の言葉はよく作品解明の鍵として安易に使用され、かえって真の解明をさまたげる結果になることを、私は過去の経験によって思い知らされているからである。「あとがき」を読み、作者の言葉を鵜呑みにして無責任な批評紹介をされるほど、著者にとっていやな思いをすることはない。
なるほど、そうだよなぁと思う。歌集紹介では「あとがき」を引用して文章を書くことが多いが、それは「作者の言葉」を無条件に正解としてしまう危うさがある。歌の読みにおいて、作者の自歌自注を必ずしも正解としなくてもいいように、本当はあくまで「自分の言葉」で書いていくことが必要なのだろう。
とは言え、「高安国世の手紙」を連載している身としては、こんなふうに書かれると、高安さんの歌集の「あとがき」を引用しづらくなっちゃうんだよなぁ・・・。困った。

「会員歌集・歌書」にも追加しましたが、河野さん関係の本が2冊出ています。『京都うた紀行』(京都新聞出版センター)と『牧水賞の歌人たち 河野裕子』(青磁社)。
『京都うた紀行』は永田さんと河野さんが京都・滋賀の歌枕、それも近現代短歌に詠われた場所を実際に訪れた内容が書かれています。「京都駅」や「三月書房」や「琵琶湖大橋」など、古典の歌枕とは違った新しい風景が50か所も取り上げられていて、非常に面白いです。巻末にはお二人の対談も収録されています。
『牧水賞の歌人たち 河野裕子』は真中さんの編集。河野さんへのインタビュー(伊藤一彦さん)、代表歌300首(真中朋久選)、自歌自注、アルバムなどの他、絶筆11首も収録されています。
皆さん、どうぞお読みください。

「母の友」11月号の特別企画「こどもに聞かせる一日一話」に、塔の会員の桑原亮子さんの作品が載っています。
 ちょっとした駅での待ち時間とか、夕飯ができて家族を待つ少しの時間に読むのにちょうどいい長さで、少しずつ楽しんで読んでいます。いろんな方が1話ずつで合計30話。
桑原さんのほかに、高楼方子さん、東直子さん、奥原弘美さんなども書いておられて、さまざまなテイストのお話が楽しめます。
 今月号はお得な感じ。ちょっと寒くなってきたので、あたたかいものを飲みながら、温かいお話。オススメです。

涼しくなってきたので
散歩をしている。
いや最近は、散歩、というよりウォーキングにちかい。
家から少し離れたところに
大阪中央体育館と大阪プールがあり
その一体が大きな公園になっている。
そこをうろうろするのだ。
歩いて歩いてずんずん進んでいくと
止まりたくなくなる。
からだが、からだそのものになる感じ。
そうすると
漠然とした噂話や悪意などに
おびえなくなる。
やはり、精神と身体は切り離せないものなのだ。
このあたりまえのことをかくにんできて
すこし平らかな日々を送っている。

「りとむ」11月号を読む。隔月刊で、今月号は90ページ。全体的に非常に読みやすいレイアウトである。
高幣美佐子さんの「啄木の額」という文章が面白かった。かつて担任した生徒が、啄木の曾孫であったことがわかり、その元生徒(石川晶子さん)と三十余年ぶりに再会するという話。啄木の直系の子孫が現在もいらっしゃるということを初めて知った。
他には三枝昂之さんが「河野裕子さんのこと」という文章を書いている。「河野さんは横紙破りの人だった」という一文を皮切りに、河野さんのデビューから闘病詠までを同世代歌人として回顧したもの。こうした文章を読んでいると、あらためて河野さんは亡くなったんだなぁという気がしてくる。

13:00から永田家にて11月号の再校&12月号の割付作業。雨の予報のなか20名近い方が参加してくださる。永田さんはNHK・BSの「ニッポン全国短歌日和」出演のために不在。庭にはコスモスが丈高く咲いている。

作業も終りかけた頃にテレビを見ると、大田千枝さんの歌が「大賞」、一宮雅子さんの歌が「選者賞」を受賞していた。みんなでテレビの前に集まって喜ぶ。17:00に作業終了。

 ずっと長く放置していたガレージ脇の草花をきょうは整理した。
 10年以上きれいにピンク色の花を咲かせていたゼラニウムが今年の暑さと、私の管理不行き届きのため、みんな茎がぶよぶよになってしまっていた。手で折ろうとしたら、ぐにゃりと曲がり茶色い汁を出す。酷い匂い。申し訳ない。
 それで思い切って根から引き抜き、かろうじて緑の葉のついている部分を折って、土にさしておいた。根がつくといいけれど。
 そして葉っぱを虫にやられて、茎だけの状態になっていたゴーヤも抜く。そのあとにきょう母から送ってきた吾亦紅の種をぱらぱらと蒔き、このあいだなにかのおまけにもらった菜種の種もその続きに蒔いた。
 蒔く時期はいまごろでいいのかなぁと思いながら水をかける。
 みんな元気に育ちますように。

前から読みたかった有川浩の『阪急電車』を読んでいる。
元兵庫県民としてすごくタイトルに反応してしまった。
西宮北口から宝塚までの沿線の話。関西弁でテンポよく進む。
先週から始まったドラマ「フリーター、家を買う。」も有川の作品で二宮和也主演。
軽い気持ちで見ていたら、かなり重い内容で、家族のストレスを抱えた母親がうつ病になってしまうという第一話。
息子が学校で友達とその話になり「お母さん大事にしなあかんなあ・・・。」とみんなしんみりなっていたらしい。
★サンドイッチの残りのパンの耳。一センチ角に切り、弱火でバターで炒めさんおん糖ときな粉をかけておやつに・・ネットのレシピでおいしかった。

昨夜(今朝方?)3時頃まで事務所で原稿を書いていた。
ようやく書き終えて、車で帰宅途中、近所の軒先に提灯が下がっているのを見て、お祭りがあることを思い出した。
石座(いわくら)神社で火祭があるのだ。石座神社はうちのすぐ近所で、岩倉実相院の隣りにある。
このお祭りがあるのを知ったのは数年前。ちょうど昨夜のように深夜に帰宅途中、人がぞろぞろ歩いているのにくっついて行ったらお祭りをしていた。
この祭り、かなりの奇祭である。岩倉に雌雄の大蛇が棲みついていて、それが人間に危害を加えていた。あるとき、神前の火で退治せよとのお告げがあり、神火を松明に灯すと、二度と大蛇が現れなかった、といことに由来する。
長さ10メートルほど、直径2メートルほどもある竹と薪と落葉を結わえた、大蛇に見立てた2本の大松明に午前3時頃点火される。この松明、縄で結わえられているのだが、通常は12ヶ所、閏年には13ヶ所で結ぶらしい。
火がごうごうと燃え、火の粉が舞い上がり、時おりバンバンと竹の爆ぜる音がする。その間、巫女による踊りが奉納されたりしている。午前4時近くだというのに、近所の小学生や中学生のグループが沢山来ている。
眠気も忘れて小一時間ほど見学して帰った。
地元民なので、携帯電話で写真を撮るのもバカらしいと思って撮らなかったのだけれど、こんなことなら撮ってきたらよかった、とちょっと後悔。
こんな様子↓
http://www18.ocn.ne.jp/~kyodaigo/363_iwakura071020.htm

私は短歌会の他に、映画同好会というサークルに入っています。毎週金曜日の放課後に教室とスクリーンを借りて映画を観る、というサークルです。
今日は、『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』のチャーリー・カウフマン監督の『脳内ニューヨーク』という映画を観ました。主演はフィリップ・シーモア・ホフマン。
妻と娘に見放された中年の劇作家が、自分の脳内で妄想しているニューヨークを巨大倉庫のなかに芝居の舞台として築きあげるという内容です。何千人もの役者が一斉にしゃべっているようなお芝居。自分やその恋人もその芝居に登場させているため、自分役の役者や恋人役の役者などとごたごたとややこしいことになり、次第に現実と芝居の境目がなくなっていって、収拾がつかなくなるのが怖かったです。すみません、うまく説明できません。かなり哲学的で、難解で。
でもやっぱり、映画館にいるような気分で映画を観られるので楽しいです。

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