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染井吉野はほぼ散ってしまい、今咲いているのは八重桜。
その中でも花が牡丹の花のように丸くなるものは
牡丹桜と呼ばれるようです。

写真の桜は、五分咲きくらいの時は、すっきりした印象でしたが
撮影した日はまさに満開。
写真を撮ろうと花の下に入ると、何と言えばいいのでしょうか、
豊満というか豊潤というか、見ているとクラクラするような
とにかく包み込まれ圧倒されました。

溢(はふ)れ咲く牡丹桜の下をゆきこころもあやに妻らに湎(おぼ)る 
鬱(うつ)したるおもひ和(やわ)さむ親われら花燿(て)る下に子を跳ばしめつ
花びらは生きをるもののかくるがに黒き築地(ついぢ)のうちらにしづむ
若きらは丈夫(ますらを)さぶとおごれりし散りまどふ花の団(かたまり)とかも      坪野哲久『桜』(昭和十五)

〈一首目は豊満に咲く牡丹桜の下で、
自分でも不思議なほど妻と子に溺れていると詠う。
青年等が若く独身のまま(戦争で)死ぬことに対するアンチテーゼとして、
哲久の牡丹桜と家族はある。
二首目では、親の鬱屈した思いを和ませてくれるように、
子は花の下で無邪気に跳ねている。
三首目、哲久には花びらが散っていくさまが、
生きているものが隠れていくように見える。
築地の黒さと「しづむ」という言葉遣いが不吉な印象だ。
四首目、昂揚した気持ちで自分を丈夫らしいと思っている若者たちを
散りまどう花のようだと詠う。
散ってくる花びらのもとで、哲久の思惟は死んでいく若者たちに至るのだ。〉
          川本千栄「近代短歌山ざくら考」『深層との対話』より

昔書いた文を引用しました。
戦争時潔く桜のように散っていくことを求められた青年たち。
彼らは自他ともに一重の桜に喩えられました。
坪野哲久は八重桜(牡丹桜)を描きつつ、
そうした青年たちを危うい気持ちで見守っていたのではないでしょうか。

おそらく1枚目の写真の桜は一葉、2枚目は関山。←検索した

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