ブログ

「未来」12月号の後記に岡井さんがこんなことを書いている。近藤とし子さんの葬儀に行った時の話である。
偶然だろうが、晩年を近藤夫妻がすごされた成城の町のとなりのとなりあたりに、六十年前にご夫妻が住んでおられた清水建設の社宅のある町千歳船橋がある。わたしは小田急の窓から千歳船橋あたりの、かわりはてた風景を眺めながら、六十年前、自分が一人の学生として近藤さんのところへ通って、いろいろと指導をうけたのを思い出していた。
このあたりの地名は私にもなじみが深い。小田急線の駅で言えば、経堂に母の実家があり、千歳船橋には父の勤め先があった。成城には叔母たちが住んでいた。東京という町は山手線を中心に放射状に私鉄が伸びており、それによって生活圏が決まってくる。
私の一家はそういう意味では小田急線を中心に暮らしていた。新婚時代の両親がまず住んだのが狛江であり、私が生まれてから住み始めたのが玉川学園である。学生時代に住んだのは下北沢の近く。兄は先月くらいまで玉川学園に住んでいたし、父が今住んでいるのも柿生である。
そういうことを考えると、近藤夫妻が千歳船橋に近い成城を終の住処に選んだことも、ただの偶然ではないのかもしれないという気がするのである。

さとう にコメントする コメントをキャンセル

  • さとう より:

    小田急線と言ったら出てこなくては。豪徳寺は古い小さい町。中1の時からすんでいる。隣駅の経堂にある私立学校に25年勤めた。自分の母校でもある。今は仕事の帰りに途中下車して成城学園の少しリッチなスーパーへ行くのがささやかな贅沢である。東京の全国大会では小田急系列のホテルで小田急線まる抱えの毎日だと強談判して値引きしてもらった。

ページトップへ