古い「塔」を読む(松村)
古い「塔」を読んでいると、いろいろ感じることが多い。
1983年1月号では、高安さんが巻頭言を書いている。歌会に出ること、欠詠しないこと、積極的に短歌に取り組むことを会員に求める内容だ。「もうすぐ、創刊三十周年がくる。いまにして猛反省していただけないなら、『塔』は無用の長物となるだろう。年初に当って奮起をうながすこと右の如し」という言葉で終っている。この翌年に高安さんが亡くなっていることを思うと、遺言のようにも感じる。
この巻頭言には「歌壇の総合誌や何か見ると、まったく価値判断も批評もまちまち、作品もどうしてこんな言葉を平気で使うのかと不安になってしまうほどのものが平気で氾濫している」とも書かれている。近年よく言われる「何でもアリ」の状況は、何も今に始まったことではないのだなあと思う。
同じ年の7月号には永田さんが次のような編集後記を書いている。
□今月もまた六十頁を越してしまいました。私の「虚像論」も
やむを得ずまた休載。もう少し会員が欲しい、もう少し校正員
が欲しいと願っています。御協力を。 (永田)
雑誌作りが大変なのも、何も今に始まったことではないのであった。いつの時代にもそれぞれの苦労があり、それを乗り越えて今がある。古い「塔」を読んでいると、いつも励まされる思いがする。
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