高安国世の年譜(松村)
『高安国世全歌集』に収録されている年譜は非常に詳細なものだ。「高安国世の手紙」を連載する上でも何度もお世話になっており、資料的な価値が高い年譜だと思う。編者の光田和伸さんをはじめとした方々の熱意の賜物だろう。
それでも、高安国世についてあれこれ調べていると、作品の初出で抜けているものを発見したり、細かな間違いを見つけたり、疑問に思う点が出てきたりする。もちろん、今後、新しい高安国世年譜が作成される機会もないだろうから、それをどうするということもない。
一番の疑問は昭和八年に「斎藤茂吉も出席した茶臼山雲水寺歌会で、はじめて杉浦明平と会う」とある部分。高安のアララギ入会は昭和九年のことなので、それより先に歌会に参加して杉浦と会っていたことになる。しかし、それはどうも違うようだ。
杉浦明平著『明平、歌と人に逢う』の中に「茶臼山歌会(一)(二)(三)」という文章があって、この昭和八年の歌会のことが描かれている。その中で、杉浦は初対面の高安やす子(国世の母)の印象を記した後に、「もちろんわたしは、まだ高安国世については何も知っていなかった」と書いているのだ。
だから、昭和八年の歌会に高安国世が参加していなかったのは間違いないと思うのだが、そうなると今度は、なぜ年譜にこの内容が記されたのかということになる。おそらく、何か元になる資料があるのだろう。それはどんな資料なのか・・・などと考えていくと、本当にキリがない。
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