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このあいだ、この欄で梶原さい子さんが仙台文学館の「詩人・山村暮鳥展」のことを書いておられた(2025.06.29)。

どんな展示だっただろう。短歌にかかわるものは出品されていただろうか。

山村暮鳥にかぎらないが、小説家や詩人の「全集」の目次の雑録編のようなところをチェックすると「短歌」の項目があることがある。読んでみると、それはそれで、さまざまに発見もあるものだ。暮鳥の場合には、4巻本全集の第1巻の末尾のあたり。第2巻にも詩が続くから、詩業の中心に「短歌」が置かれているように見えないこともない。

歌数は350首弱。重複もあるが300首を越えて、つまり歌集1冊ぶんぐらいの歌がある。

初期は「白百合」。明治37年(1904年)2月から、ほぼ毎月掲載がある。最初期の「白百合」1巻4号明治37年2月はこの3首。当時は「木暮流星」を筆名にしていたらしい。

さらば君白衣さきてわれ行かん野にはいなごの餓(うゑ)もあるまじ
罪かわれいかに天には小さかれ恋うて歌うて母にいねん身
泣かで往ねこれせめてもの月の夜ぞ春の御母のいとひますらん

「明星」系の人々(前田林外、岩野泡鳴、相馬御風)によって創刊された「白百合」なので、なるほど「明星」ふうの詠みぶりというのだろうか。空想や陶酔感のゆくさきが正直ちょっと読みきれないところもある。

もう少し後の時代の、これは『中学世界』(10巻7号 明治40年6月)。「鳥なれば」と題する7首から。

鳥なればとへどこたへずいづかたへ鳴きつ野を行き山をゆくらし
山の夜はふけぬ廂(ひさし)にほす鮭の尾よりしたゝる霧のしづくに
春の鐘けふもことなく大浅間けむり吐きつゝたそがれにけり

時代の違いか、ずいぶんリアリズムに寄ってきた感じがする。「鳥なれば」は「鳥であるので」。飛んでゆく鳥というのは、筆名「暮鳥」にも通じるところ。吊るした鮭というのは高橋由一の絵なども思い出すが、昔はごくふつうのことだっただろう。「霧のしづく」だけでなく、魚の油なども滴るようで、嗅覚までも刺戟される作品。
浅間山は明治40年の前半ならば1月、3月に噴火があった。この翌年からは遠方からも爆発音が遠方でも聞こえ、広い範囲で降灰があったり、死傷者多数の被害をもたらす噴火なども多くなる。何かそういうことも予感させるような風景であるかもしれない。

菱採りよ菱採るごとき手つきして男とらずやおもしろからむ
空遠くわたる小鳥のむれを見るわれのまぶたのさみしき日かな
平(たひら)とは黒き烟(けむ)吐く《えんとつ》のもとに小さきはなにほふ町

こちらは『秋田魁新報』(大正元年10月10日)に発表した「滅びゆく秋の日のかなしき歌」10首から。原文に傍点だったところは《》で示した。

沼に盥舟などうかべて生い茂る菱に手をいれる作業に従事するのは女性が多かったのだろう。キリスト教(聖公会)の伝道師という立場には、ちょっとふさわしくないような、エロスを感じさせる「菱採り」の歌。そういうところが山村暮鳥の魅力であるとも言われているらしい。「空遠くわたる小鳥」は、やはり「暮鳥」のモチーフ。
煙突の歌は、暮鳥が大正のはじめから7年ほど住んだ福島県いわき市。当時は平(たいら)町。いわき市在住の小林真代さんによれば、この時代ならば煙突はレンガ工場あたりではないかという。

詩人の短歌ということなら、詩のほうの表現との共通点や違い、どちらかがどちらかの原型になっているとか、そういうことの分析もすべきだろうけれど、ちょっとその準備は無い。ひとまず。
 
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写真は菱の花。

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