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土屋文明の『六月風』に次のような歌がある。
  五月六日若江の合戦に間にあはず七日の討死を吾は思ふも
「小笠原秀政の墓」という小題を頼りに調べてみたところ・・・
この歌の舞台は1615年の大阪夏の陣。5月6日、豊臣方(木村重成軍)と徳川方(井伊直孝軍)の戦闘が起るが、徳川方の小笠原秀政は周囲の者に止められて戦闘に参加しなかった。そのことを徳川家康(または徳川秀忠)に激しく叱責され、雪辱を誓う。そして翌7日の天王寺・岡山の戦いで奮戦の末に長男とともに討死、ということらしい。
7日の深夜に大阪城は陥落、8日に豊臣秀頼は自害して大阪夏の陣は終る。長い太平の世の到来である。
  元和元年ながき太平の前の日の朝の戦ひに果てし君はも
あと一日で訪れるはずの平和を見ることなく死んでしまった小笠原秀政。彼の無念の思いが伝わってくるような気がする歌だ。慶長20年=元和元年=1615年なのだが、「慶長」が「元和」に改元されたのは7月13日。だから小笠原秀政が死んだのは正確には慶長20年5月7日であるらしい。でも、この歌は「元和元年」がいいのだろうな。

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