大正時代の鉄道の旅

明治時代の中頃以降、鉄道網が整備されるようになると、遠方への「旅行」というのが、それほど特別なことではなくなった。線路を延長すれば旅客数も確保しなければならないから、のちの国鉄である鉄道院(1908~)や鉄道省(1920~)が「旅行案内」的な冊子を刊行したり、民間の出版社からもさまざまに旅行案内書が刊行されるようになる。とくに大正10年(1921)の鉄道省『鉄道旅行案内』は、吉田初三郎による絵も美しく画期的なものだったらしい。大正10年版のこの本は「刊行後40版を越えるベストセラーになり、旅行ブームを巻き起こしたという」(平田剛志(2012)「鉄道省編『鉄道旅行案内』諸版の比較研究」立命館大学大学院先端総合学術研究科「コア・エシックス」 8 513-523)ことだが、こういう場合、ある部分は〈時代が求めていたものが《これ》だった〉ということもあるのではないか、と思う。
さて、その前年、前々年に「旅行」に関する短歌のアンソロジーが出ているので、すこし覗いてみよう。
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まず、佐佐木信綱(編)『和歌名所めぐり』(博文館、1919年)。編者である佐佐木信綱の緒言を、少し長めに書き起こす。
旅行の樂しびは、人生の最大快事の一つである。殊に近時の如く、交通の機關が發達し、旅宿その他の設備も完全になつてゆくにつれて、旅行は益々樂なものとなつて、草枕と云ふ枕詞にのこる古人の旅行觀は、書物の上の昔がたりとなつてしまつたといへる。併し眞の旅行の樂しびは、樂な交通機關を利用して、完備した旅館に泊まるといふのに盡きてゐるとはいへない。美しい山や、ゆたかな海の景色を眺めたり、歴史の古跡をたづねて昔を忍んだり、珍しい風俗や習慣を見たり、すべて日常平凡な生活から離れて、新しい境遇に身をおき、新しい刺戟に接するといふこと、ここに旅行の眞の樂しびはある。
かくの如き旅行の樂しびを、一層増しもし、また補ひもするものは歌である。その所その地に臨んで、古へ今の作者歌を囘想するといふことは、歌心のある人はもとより、未だ歌心のおこらぬ人にも、旅の興を添へるものである。
(略)
日本國中凡てに渡って網羅することは他日にゆづり、まづ日本國中の主なる汽車の沿線、汽船の沿岸などについて、主なる名所古跡を詠んだ歌を選ぶことにした。
(略)
古来の名所の歌によくみる、單に古歌の歌枕をそのままに詠みこんだだけで何等の生趣もないやうな作は出来るだけ捨てて、成るべくその實境に就いて詠んだ作で、眞に旅客の心に觸れ、情を動かすに足る、生きた歌をとるのを眼目とした。(後略)
「樂(たの)しび」とか、やや古風な感じの言い回しもあるけれど、旅行観の変遷などについても、じっくり練られた文章であると思う。旅行の今日的な意義とか、文芸および文芸史の知識・素養が旅の経験を深くするというのは、世の中の大多数の人には関係ないかもしれないが、短歌にかかわる以上は、心して読むべきところだろう。
最後の部分の、古歌の「歌枕」との決別というあたりも、大正時代の意識とか、マニュフェストという意味でも、なかなかに味わい深いところがある。
来年の全国大会は松江。そのあたりの歌を拾ってみる。
美保の關
みほが崎よる浪のほのいちじろく神世のあとぞこゝに殘れる/三條實美
安來
日本海のゆふべはさびし燈臺の灯も見えぬまで秋雨降れば/錦織幸子
松江
出雲冨士はつかにかゝる雲を見て旅の夕べをさびしみにけり/藤井喜一
三條實美は明治初期の政治家。元勲。錦織幸子と藤井喜一は「心の花」に所属した人であるらしい。
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もう一冊は 半田良平(編)『名所めぐり最新旅行歌選』(紅玉堂書店、1920年)。こちらは「凡例」というのがマニュフェストに相当する。半田良平は、こんなふうに書いている。
一、本書に収めた歌は、明治三十年前後の新短歌興隆以来、今日に至るまで、約二十餘年間に亘つて詠まれたものゝ中から抜萃したもので、既に名を爲した大家の作は勿論、新進諸家の作までも出来るだけ多く網羅したつもりである。この意味に於て、本書は一面、明治大正歌壇大觀の趣をもつてゐる。
一、排列順は主として、院線系統により、支線に亘るものは、その都度これを明記しておいた(略)
歌數は合計二千七百九十五首である。(後略)
佐佐木信綱が古典まで視野をひろげつつ、空想的な歌枕ではない実感を重視したのに対して、こちらは明治後期から大正はじめまでに限定して、もっと現代的なアンソロジーにしたい。旅行の歌に限定しながら「明治大正歌壇大觀」というのが、壮大な意気込みだ。さらに、鉄道の路線とか、乗換案内のような部分にも工夫をこらして、違いを出そうとしている。
1年違いの刊行。後発の半田良平と紅玉堂に対抗意識がなかったはずはない。それが如実にあらわれた「凡例」と読めるのではないか。
どちらがどのくらい売れたのか、それぞれの本を読みながら旅行をした人がどのくらいいるのかわからないが、いずれにしても、鉄道旅行ブームの到来という勢いを感じさせるものだ。
こちらも、作品を拾ってみる。
宍道湖(松江驛)
宍道湖に暮れてなづそふ灯火(ともしび)はいざり火なれか遠くはゆかず/野澤柿葺
玉造温泉(湯町驛)
遠世人埋めおきたる石の棺見つけ出されて日の下にあり/木下利玄
出雲大社(大社驛)
久方の天がしたには言絶(ことた)えて嘆きたふとび誰か仰がざらむ/長塚節
野澤柿葺は「潮音」の人であるらしい。木下利玄と長塚節は説明不要だろうけれど、「湯町驛」は現在の「玉造温泉駅」。その少し前に、米子から境まで行って戻って「更に本線に戻りて西す」という注釈がある。長塚節の歌の前には「出雲今市より分岐する大社線によりて」とあるが、「出雲今市」は現在の「出雲市」。JRの大社線は廃止になっいて「大社駅」も存在しない。今なら一畑電鉄線で「出雲大社前」ということになるだろう。
木下利玄の作品は「玉造築山古墳」のこと。
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そんなふうな歴史を確認したり、作者名から、これは誰だろう?と調べたりしていると、いろいろ、発見があって面白い。
自分の住んでいるところ、故郷の周辺が、どんなふうに詠まれているのか。誰がそこに来て歌を詠んだのか。そんなふうな読み方もできるかもしれない。
いずれも、国会図書館のデジタル資料で読むことができる。
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冒頭の写真は東京駅から上野方面。上野東京ラインの急勾配が見えている。
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