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「塔」をつらつら読んでいると、本筋と関係のないところでニヤリとしてしまうことがよくある。11月号の池本さんの歌にこういう一首があった。
  わがへんな癖かも飴玉なめるとき小さくなれば噛み砕くなり
別に「へんな癖」ではなくて、僕もどちらかと言うと最後まで舐めきることができずに、噛んでしまう方である。噛んでしまって、歯に飴がこびりついて後悔する。
この歌にニヤリとしてしまったのは、10月号の十代二十代歌人特集で、千種創一さんが次のような文章を書いていたのを思い出したからだ。
 マイルールを順不同で挙げます。1待ち合わせ、締切、時間は
 守る。2食事は白米から食べる。(…)5飴は噛み砕かない。(…)
飴を「噛み砕かない」ことをマイルールにしている二十代の男性と、噛み砕いてしまう「へんな癖」がある六十代の男性。その取り合わせに思わずニヤリとしてしまったのであった。

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  • 大森 より:

    私も池本さんのその歌すごく可笑しかったです!
    おそらく噛み砕かずに最後まで舐めきる人のほうが断然少数派だと思います。
    最後が「なり」なのでよけいに面白かったです。大真面目におっしゃっている感じがして。

  • つた子 より:

    ははは、私も池本さんのお歌をみて
    千種さんのマイルール思い出してました。
    私も飴ちゃん噛み砕く歌を五月号(だっけな)に出してしまった。
    ああ、飴に「ちゃん」付けって関西方面だけなのかな。
    関東人の私も何故か昔から付けてます。。
    なみのさんの編集後記にもありましたねー

  • 松村正直 より:

    「とけきらぬ薄荷ドロップ噛みくだき戸籍筆頭者にわが名をしるす」(5月号)ですね。なるほど、確かにここにも噛み砕く派がまた一人。

  • まなか より:

    こんなのもあります。歯の健康を確かめる(自慢する)ために噛む場合。いまいましい気持ちから噛んでしまう場合。
    飴玉を自前の歯にて割りて見す羨ましよと言はしめむため/竹山広『一脚の椅子』
    気がつけばミントキャンディがりがりと噛み砕きおり会議の後に/松村由利子『鳥女』

  • 朝井 より:

    祖父が生前、田舎の飴の話をしていたことがありました。
    丸い大きな飴で、それを買って口に入れてなくなるまで歩くとちょうど1里、なので「1里玉」と自分で命名していたそうです。
    祖父はいわゆる明治の頑固者でした。
    自分の臆病な気質を治すため、若い頃真っ暗な村の夜道をお稲荷さんの祠まで百日間往復したり、父になれば二人の男の子に剣道の早朝寒稽古、戦時中は家族を守るためアメリカ兵といつでも刺し違える覚悟で、自宅に真剣を隠し持っていたそうです。そう言う人ですので1里の道のりを飴を噛まずに歩くと言うのも何かの訓練のようで、今思えばほほえましい気もします。

  • Emi より:

    みなさま。またまた飴ちゃんの話で盛り上がっておいでですね(^^)/
    世代を反映するスウィーツかもしれませんね。
    なぜだかわからないですけれど、
    父といえば「カンロ飴」。やはりバリバリ噛んで食べておりました。
    そして、わたしの幼いころは、不二家のノースキャロライナまたはエクレア。よく銀歯が取れたなぁ(笑)
    息子は…というと、よくポッケに「忍者めし」の袋が入っている。あ、これは飴ちゃんじゃないのか。

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