白き栗
九月三日なので、九月三日が出て来る作品をあげてみる。
土屋文明『自流泉』。「巻第五私注不進」という一連4首の3首め。「不進」は「すすまず」。
白き栗食ふことは憶良の世にもありきやそれとも九月三日(くぐわつみつか)熟(じゆく)するありきや
これは、「万葉集・巻五」にある、山上憶良のよく知られた作品についてのもの。
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝なさぬ
註に「神亀五年七月廿一日」とあって、これを現行暦に換算すると9月3日になるのだという。西暦年は728年のこと。
文明のこの歌集の前半「秋冬雑詠」というところには、
若木よりいがを手にとりわれはむくみづみづとせるその白き栗
というのもあって、つくづく探求心というか、好奇心旺盛だと思うが、まだ若い栗の毬を剥いて熟さない栗の実が白いことを確かめている。だから、憶良の作品と9月3日という日付から「白き栗」ということを思ったのだろう。
そういうところにこだわってしまうから、筆が進まないのだ。
写真は近所の公園。今日9月3日の栗は、まだやわらかい緑いろの毬。9月3日に既に栗が熟すことがあったかどうか。
けっきょく『万葉集私注』の該当個所は、「瓜は熟する季である。栗も早生なものなら熟すであらうし、漸く色のつきそめた白い栗を生食することは、今も山間農村などでは行はれることである。或は菱や蓮実を生食する樣に、さうしたやり方が憶良の時代にも行はれたのかも知れない。」と書かれた。
私などは、まず気候の変化などを考えるが、「山間農村」の習慣と言われれば、そういうこともあるのかもしれない。未熟な白い栗は食えるのか。生食できるものなのか。
あとは、この日付の作品が前後12首並ぶことから、制作時期と発表時期(歌会など)のずれは当然考えられるだろうし、代表的な食物を対句的に並べるために呼びさされたということもあるのかもしれない。
台風やら何やら。
ことしの秋の実りはどうなるか。
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