あらくさ
雑草という名の草は無い
……というのは、一般には昭和天皇の言葉と信じられている。
それはそうだ。
植物学的には、名前がなかったら新種だ。名付けなければならない。
ただ、「雑草」というものが無いのかといえば、それはやはり、「雑草」として存在しているのだ。
畑や田んぼの、そこに種を播いたり植えたりして、収穫を期待しているもの以外のものは、これは「雑草」である。
あき地に繁る夏草の、これはもう草刈友男氏に登場願わなければならない。
「雑草」というのはカテゴリーだ。
自然としっかり向き合いましょう。リアリズムの、写生の歌をつくりましょう……というとき、図鑑を片手に、あれこれ調べながら草の名前などを知ってゆくのは、よいことだ。
そういうときに、くだんの言葉が話題になることもあるのだろう。
だが、それはそれ。
一木一草をと向き合うなら、その名を呼ぶことも大事だが、私たちはいつもそういうミクロな視野ばかりで生きているわけではない。
旺盛に繁る草の圧倒的な生命力を前にして、いちいちの草の名を言っていてもしょうがないのだ。
「雑草」、「あらくさ」。季節の形容を添えて「なつくさ」「ふゆくさ」など。
齋藤茂吉『つゆじも』より。大正九年の作。「七月二日。縣立病院を退院す。三日より自宅に臥床して治療を専らにす」という詞書を伴う。体調が悪いときには、さまざまなものに圧倒されるような感じもするだろう。
・あらくさの繁(しげ)れる見ればいけるがに地息(ぢいき)のぼりて靑き香ぞする
コメントを残す