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カテゴリー "いわこし"

 こんにちは。いわこしです。
GWいかがおすごしでしょうか。わたしは昭和の日に所用で東京へ行き、用事を終えて、翌30日に千鳥ヶ淵の千鳥ケ淵戦没者墓苑に献花したあと、その足で、九段下にある昭和館へとあることを調べに行ってきました。昭和館は、戦前、戦後含めて昭和30年頃までの暮らしや文化が展示されている資料館のようなところです。
そこで調べた内容を含めて以下に書かせていただきます。

”善からぬにほいする粕取の焼酎を友と会えば飲み一人にても飲む”
『帰潮』佐藤佐太郎

 粕取り焼酎は本来「日本酒を搾ったあとに残る酒粕を蒸留してつくる焼酎」のことである。が、戦後の闇市に出回った密造酒もカストリ焼酎(酒)と呼ばれた。カストリ酒は粗悪で不純物が多く、二合も飲めば酔っ払い、三合飲めば前後不覚になると言われた酒である。中には飲めば失明の危険があるメチルアルコールの混ぜられたものもあったようだ。
 初句に「善からぬにほいする」とあるから、これはカストリ酒の方であろう。戦争に負け、なにもかもなくなってしまった日本の、作者の貧乏な暮らしの切なさが読み取れる。と、同時にうたには少しのユーモアも感じられる。そのユーモアは「友と会えば飲み一人にても飲む」という「飲む」のリフレインの中から生まれる切なさと表裏のようなユーモアである。
 ところで、カストリ酒が出回った同時期に「カストリ雑誌」というものが流行した。カストリ雑誌はエロ・グロ・ゴシップ中心の大衆娯楽雑誌の総称である。戦後まもない頃(昭和21年から24年頃)、雨後の竹の子のように大量に発行されそしてあっという間に消え去った。名の由来はザラ紙のような粗悪な紙(センカ紙という)でつくられ、だいたい3号でつぶれるというところから来ている。大きさはB5で32ページ。雑誌名は「ヴィナス」「うきよ」「猟奇」「青春タイムス」「ベーゼ」等々。内容は小説、対談、小噺、あとは挿絵や写真。露店や屋台、駅の新聞スタンド等で売られ、目立つ必要があるので煽情的な女性の表紙絵が多い。しかし、カストリ雑誌の執筆者には江戸川乱歩や坂口安吾、永井荷風などもいたようだ。戦後のひとつの文化・風俗の象徴ともいえる。
 では、カストリ雑誌に詩歌は掲載されていたのか。掲載されていたとすれば誰がどんな詩や歌を書いていたのか。そんなことが気になってくる。
東京九段下の『昭和館』には当時のカストリ雑誌の原本が何冊か所蔵されていることを知り、東京へ出向いたおりに調べてみた。結果、詩も短歌も俳句も多くはないが掲載されていた。カストリ誌ならではのものであった。雑誌『オール猟奇』1947年10月号にも、今だと文藝春秋のように枠で囲った中に「愛唱恋歌妙」という題の短歌が五首掲載されていた。作者はわからない。以下に二首記載する。

”灌木の茂みの中に囁きかともすれば憂しあひびきの夜”
”後の世は女王と生て炮烙の刑に處すべき男多きに”

 短歌としてはあからさまかと思うが、「オール猟奇」というカストリ誌に載っていた歌と思うと、それはそれで面白いとも思う。

 ちなみに調べていく中で、戦前だと夢野久作に「猟奇歌」というのもあるようだ。以下に一首。

”殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を
濶歩して行く”

 いわゆる正統な短歌史から取りこぼされるこういった歌もまた短歌の一側面なのだということを調べる中で感じたのであった。

(参考資料)
・『帰潮』佐藤佐太郎
一首はさんで次のような連作と思える歌がある
”かすとりの酔にみにくく苦しめば吾がありさまを幼子も見る”

・『オール猟奇』1947年10月号

昭和館は以下のURLにホームページがある。
https://www.showakan.go.jp/

・『猟奇歌』夢野久作
https://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=933
短歌のかたちをとった物語詩群のようである。

   春、木瓜の花が咲く。我が家の隣にあるマンションの小さな花壇にぽってりとした花がいくつか咲く。出勤、帰宅時などに赤い花が塀の隙間から見える。

 冬、我が家の向かいの古い瓦の家の垣根に山茶花が白い花を咲かせる。
その家の玄関の小さな階段に、道いっぱいに白い花びらは散り、敷き詰められる。            月の夜はその花が白くほのかに光ってそれはなんだかとても無残である。

 この家に住んで20年以上になるが、そんなふうに花を見るようになったのは短歌を始めてからである。短歌を始める前は、ああ花が咲いているなあと思うくらいで、草花に疎いわたしはそれが木瓜なのか山茶花なのかさえ知らなかった。というより興味がなかった。短歌を初めて、気がつけばそこにそれらの花があった。木瓜も山茶花も季節が来るたび歌にしている。同じ場所の同じ花を詠うのでどうしても同じような歌にはなってしまうが、それでもその花をみれば詠ってしまう。

 数年前、古い友人の墓参りをした。亡くなってからもう32年、三十三回忌の年になる。居間に飾られたあの頃の彼の写真の下でお母様と語しながら、その背中の窓に白い花を咲かせる大きな木に気づいた。「あれはなんの花ですか?」「ヤマボウシです」との答え。「ヤマボウシですか」と繰り返しながら、心の中にもヤマボウシと繰り返した。ヤマボウシの花は6月~7月の初夏に咲く。彼が亡くなったのは冬の季節だった。だから、いつも墓参りに來る閑散とした冬枯れの季節のイメージしかなかった。ヤマボウシの咲く季節に訪ねることができてよかったと思った。

木瓜の花見たしと思ふ三日後に空家の庭の緋木瓜見てをり                           花山多佳子『木立ダリヤ』

追伸:早く書いてアップしようと思っていたら時間が経ってしまい、木瓜の花はほとんど落ちてしまった。いまはツツジが咲いている。

『女優の愛と死』戸板康二 著(河出書房新社, 1963.12)という本を読んでいる。

明治後期から大正初期にかけて活躍した女優(あえて女優という)松井須磨子の評伝である。松井須磨子はレコードを出せば大ヒット、ブロマイドは飛ぶように売れ、松井須磨子を見るためにファンは劇場に押し寄せるといった、日本初のアイドルという存在であった。
最後、彼女はスペイン風邪で病死した恋人の島村抱月(妻子があった)のあとを追うように自死するのだが生き方そのものが演劇である(べた過ぎるくらいに)
先日仕事で東京に出張した際に早稲田の演劇博物館を訪ね、そこに併設されている図書館に調べものを依頼して、しばらくしてメールの返信があったのがこの本だった。

依頼内容は以下のとおり。
「松井須磨子の晩年に養女をひとりとっている。養女は将棋の木村十四世名人の妹で若子さんという。このことが書かれた文献を探してほしい」

結論から言うと、本には数行、彼女の遺書に「相当なことをして親のもとへ帰してくれとたのんでいる」との記載だけだった。
当時、若子の兄の木村名人はまだ14歳であり、関根金次郎(のちの十三世名人)の弟子になったばかりであった。その関根の紹介で大和郡山柳沢家当主の柳沢保恵伯爵邸に住み込みで書生をしていた。木村の実家は極貧の下駄屋で(朝、布団を質に入れ夕方引き出していたそうである)、若子を松井須磨子の養女にする仲を持ったのは柳沢保恵伯爵だったのではないかと思われる。これはあくまでわたしの推測である。

さて、松井須磨子が亡くなった後、若子はどういう生涯を送ったか。

「若子は、須磨子の死後実家に帰り、紆余曲折を経て、うなぎ職人の川上八三郎こと川上梨屋と結婚した。川上梨屋は俳句結社「春燈」に所属した俳人で、若子自身も俳句をつくるという。」
https://www3.hp-ez.com/hp/kikuno/page10

という記述がネットのサイトに見つかった。川上梨屋は久保田万太郎の弟子である。

また若子さんの血縁の方がわたしの知人におり(若子さんから見て姪孫)彼女の話では木村十四世名人の葬儀には、若子さんは参列されていたそうである(1986年)木村名人が亡くなられたのは81歳だから、そこから考えると70代後半であったろう。

木村十四世名人、松井須磨子、川上梨屋(久保田万太郎の弟子)という歴史上の人物をつながりの中に若子さんがいる。若子さんの意思には関係なく一時代の文化が傍を流れているような、その人生に興味があるのだが、しかし、これ以上のことはわからない。もしかしたら俳句関係の人に聞けばそのつてからわかるのかもしれないが。

実はこのネタ、先月号から始めた「囲碁・将棋の歌」用にあたためていたのだが、まとめようがなくこのブログで書くことにした。

最後に川上梨屋の俳句をあげて終わる。(短歌結社のブログなのにすみません)

どこをもって故郷となさむ枯木に日/川上梨屋

いわこしです。
先週、両親と日光へ旅行に行ってきました。
東照宮から中禅寺湖へ二泊三日の旅。
東照宮は家康好きの母の希望、中禅寺湖は日本で一番標高の高い湖と日本百名山の男体山というロケーションに私が惹かれて決めました。
決めたのは2月上旬で、今年は暖冬ということもあり、
ひょっとして旅行に行く頃には桜もちらほら咲いてなんて思っていたのですが、
この日は突然の寒波で中禅寺湖は雪の降る猛烈な寒さ。
ただ、逆に雪の降る湖と雪の山稜という絶景が見られてそれはそれで両親にも喜んでもらえました。

さて、古今歌人は旅に出ると歌をつくります。
いや、歌をつくるために旅に出るといってもいいかもしれません。
わたしも歌ができずに困ったら山に登るか、プチ旅に出ます。
今回も旅の準備を歌い、まだ行ってもいない旅のうたを作ったりしていました。   (いいのか?)
それから、今書いているこのブログのネタとして。
たびに出る前に中禅寺湖をうたった歌人っていないかと調べていたところ、                   いました。日光は名所だけに何人も有名歌人が歌っています。
正岡子規、若山牧水、与謝野晶子。

漂泊の歌人、若山牧水は「みなかみ紀行」(1924年出版)で、日光、中禅寺湖を訪れており、中禅寺湖を歌っています。
(今回は訪ねられませんでしたが、日光に歌碑もあるようです)

裏山に雪の来ぬると湖岸の百木のもみぢ散りいそぐかも
見はるかす四方の黒木の峰澄みてこの湖岸のもみぢ照るなり
みづうみを囲める四方の山脈の黒木の森は冬さびにけり
下照るや湖辺の道に並木なす百木のもみぢ水にかがよひ

わたしが今回行ったのは冬なので季節が違いますが、それでも歌と実景が重なって、
より臨場感を持って味わるようになりました。

歌で旅もこういった楽しみ方ができるという発見でした。

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