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初めて沖縄を訪れたのは、大学を卒業して間もない頃。
沖縄が本土に復帰して三年後くらいの11月です。
国際通りなんか閑散としていたし、那覇でも外れの方を歩くと、
南国の小さな漁村に居るような雰囲気もあって、心が洗われ・・・。
あれから、さほど間を置かずに、沖縄を訪れ続けています。

コロナ禍でしばらくいけなかったけれど、今春、ようやく行けました。
食べ物もとても美味。こちらは、お魚のマース(塩)煮。

また、今回は初めて「ガンガラーの谷」を訪ねてみました。こちらは、
個人で訪れることが禁じられていて、予約をしてガイドさんと一緒で
なければ、足を踏み入れることができないところなのでした。
渓谷になっていて、古代の人が住んでいた跡もみつかっていて。
樹木が凄い。沖縄を訪ねる度に植物の力に圧倒されるのだけれど。
ガイドさんが「ガジュマルは気根を地に降ろし、やがて根を生やし、そして
移動することができる、つまり、歩く木なんです」と教えてくれたことが
強く心に残っています。

Twitterで知ることがありガジュマルが先にあなたと同居するらし
                   中井スピカ『ネクタリン』

最近は観賞用に鉢で育てられるガジュマルもあるんだ、って、
この作品で知りました。

優れた随筆で知られる白洲正子が、夫次郎と三人の子供と共に
南多摩郡鶴川村(現・町田市)に家を購入、都心から移り住んだのは昭和15年。
近づく戦禍を敏感に感じ取ってのこと、かもしれません。当時はまだ農村、
彼女は初めての自給自足的生活に嬉々として打ち込み、その様子は
『鶴川日記』に記されて残されており、亡くなるまで暮したその家は、現在、
「武相荘(ぶあいそう)」として、一般に公開されています。
我家から近いので、先月、友人を誘って訪れてみました。

大きなかやぶき屋根の母屋。奥にある正子の書斎だった日本間(撮影不許可)には
多くの書籍が、天井近くまである書棚に収められていました。歌集や歌書の類も。

正子は『鶴川日記』で、鶴川近辺(現在の町田市、相模原市、横浜市北部など)
には、大和(奈良県)に関係のある地名が多い点を指摘しています。

  町田市周辺には、大和、奈良、岡上、三輪、小野路・・・など大和と関係のある
  地名が多い。武蔵に国分寺が立てられた時、大和から移ってきた人々が、故郷を
  懐かしんで名付けたものに違いない。・・・香具山古墳からは、十九基の横穴が
  発見され、多くの副葬品もでているが、その一つに人物と、馬を彫った線描画が
  ある。・・一帯に、牧(古代の牧場)が存在したことを語っており、・・・
  そのあたりを通るたび、遠くかすかに防人(さきもり)の妻の悲しい歌声が
  ひびいて来る。

と綴り、万葉集から次の歌を引いています。

 赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩(かし)ゆかやらむ
        『万葉集』巻二十 4417  

日本に初めて鉄道が敷設されたのは、明治五年(1972年)新橋ー横浜間。
つい四年前には戊辰戦争を戦っていたことを考えると、明治の歴史は
本当に変転激しく、スリリングに感じられるくらいですね。
日本初の鉄道発祥の地を記念し、新橋駅前には大きな機関車が展示されてます。
格好の待ち合わせ場所になっていて、いつも回りに人が群がっていて・・。
撮影にちょっと苦心しました。渋谷のハチ公に比べると、かなり少ないのですが。

徒歩数分の所に新橋停車場跡地があり、今は鉄道歴史展示室になっています。

この撮影日、残念ながら時間がなかったのですが、誰でも無料で見学できるらしい。

さて、現在「塔」の東京歌会の会場として使われている生涯学習センター「ばるーん」は
この新橋の駅ちかくにあります。

 海抜2,3メートルと記されたけふの歌会の門をくぐれり
      宮地しもん(2024年6月横浜歌会の詠草より)
       <註;作者の許諾を得て掲載しています>

新橋は海に近い、というか、都心全体が海抜の低い地にあるのですよね。
2011年の東日本大震災以来、私たちは「海抜」に敏感になってしまった、
とあらためて思わされる作品でした。

岡部史です、こんにちは。
初めて小笠原・父島の「くさや」をお土産に頂いたとき、その匂いの
強烈さに驚いた記憶があるのだけれど。母島産の「くさや」はさらに強烈とか。
人間は凄い食べ物を創造するもんだ、と、半ば呆れたのですが。
他国にはさらなる「臭い食品」があって、例えばスエーデンの
シュール・ストレンミング。缶詰とあり、家族が旅行した折購入してきました。

屋内では開缶しないようにと注意されたそうで、庭で開けることに。
開缶直後は凄い匂い、たぶん、父島くさやの数十倍。
少し収まってから食卓へ。見た目は普通の魚(ニシン)。味は強烈な塩辛さ。

 缶の中では空気が豊富に存在する発酵ではないので 嫌気発酵という特殊な発酵が
 起こり、発酵菌は異常な代謝を起こすことになり 強烈な臭みが生じてくる・・・
                     小泉武夫『発酵食品礼讃』

ということらしい。ニシンは北欧の人々にとって、貴重なたんぱく質として
その食生活を長く支えてきており、日本人には想像できないほど、多様な
料理が生み出されてきたようです。生ニシンを挟んだサンドイッチもあるし。

 妻も吾もみちのくびとやニシン食ふ 山口青邨

当時、元気だった我が犬も「あれ、何の匂い」と顔を出し、その横には
水仙が咲いていました。ちなみに、ニシンは春の季語。

ヤマモモの実が熟してきた。

どうせ落ちるのだからひとつふたつ摘まんで食べても誰も文句は言わないだろう。
よその家の垣根から外に出ている枝はちょっと問題だが、公園に植栽されているようなものならば。

だいたい見た目どおりの甘酸っぱい味だが、種は大きいので期待したほど味わえるわけではない。

山桃をジャムにせむとて始めたる種取りなれど倦みぬたちまち/なみの亜子『バード・バード』

たくさん収穫できても、種取りはたいへんだ。

ザクロの花が咲いている。


 

タコさんウインナー、タコさんウインナー。これは石榴の萼でありたり/小田桐夕『ドッグイヤー』

まことに、そんな印象でもある。花びらも、ちゃんと薄い朱色のひらひらがあるが、それが萎んだあとにのこっている萼の、基部が果実として太るまでの間は、もう「タコさんウインナー」にしか見えない。

こちらはハナザクロ。八重咲き。

風あらぶ六月の庭いつ逢へる君とも知らず咲く花柘榴/苅谷君代『初めての〈青〉』

 
ひとつひとつの花はあざやかだが、濃い緑のなかに咲いているのは、いくらか寂しげな感じもする。
ハナザクロが結実することは少ないらしいが、ザクロにしてもハナザクロにしても、果実がそこにあるのと花が咲いているのと、遠目にはそれほど違わない印象になるあたりも、花の寂しさにつながるかもしれない。
 
ちなみに、木扁をつけて「柘榴」で通用しているが、もともとの漢名は「石榴」。簡単なほうへ流れるというわけでもないのが面白い。

速度から解放されて休みゐる貨物列車のコンテナの群れ/金田光世『遠浅の空』

列車の到着地だけでなく、途中駅でもコンテナの積み下ろしはある。
この駅は、北に向かう列車が、午前中の停車で一部を切り離し、午後に戻るときにまた増結して南へゆく。
それほど扱いの量が多いわけではないが、トラックやトレーラーがコンテナを運びこみ、フォークリフトがそれをコンテナ台車に積みこんだりしている。トラックがいつでも待っているわけではないから、到着した列車からおろしたコンテナはいったんコンテナ置き場に置く。二段までは積み上げる。

「速度から解放されて休みゐる」は、長旅の電車から降りた人間の実感でもあるだろう。

これは山手線を通過する貨物列車。北海道から東北本線を南下して名古屋までゆく列車。昼前の池袋を通過する。私有コンテナ(JR貨物所有でない)は、会社の名前を大きく書いて、それ自体が宣伝のようにもなる。

上空に寒気が入っていて、大気の状態が不安定。
このへんでも2度ほど雷雨になった。
 
いったん雨が上がったので食料の買い出しに近所まで。

サンゴジュの花が咲いている。
だいたい、赤い実のほうの印象が強いが、当然ながら花も咲く。

歩み入るこころはやさし杜なかに珊瑚樹はなべて白き花つく/上田三四二『黙契』

蝶が来ていた。
どこで雨宿りをしていたのだろう。
 
ようやく食事にありついたという感じで、花にとりついている。
 
ツマグロヒョウモン♀か? と思ったが、ちょっと違う。
これはたぶんアカタテハだ。

いつとなきふるき落葉を掻きにつつわれが見るアカタテハ蝶の賑はひ/森岡貞香『黛樹』

そうやって道草をくっていたら、次の雨雲がやってきた。
買い物をしてスーパーを出るころには、ふたたび土砂降り。


2024年5月12日(日)に行われた
橋本恵美歌集『Bollard』批評会の
第一部が「塔短歌会youtubeチャンネル」にアップされました。
ぜひ、ご覧ください!

パネラー 吉川宏志(塔)

田村穂隆(塔)

松村由利子(かりん)

下記からレジュメをご覧いただけます。

Bollard批評会レジュメ田村穂隆

Bollard批評会レジュメ吉川宏志

Bollard批評会レジュメ松村由利子

*4週間の期間限定公開とさせていただきます。

昨日、吉澤ゆう子さんの歌集『緑を揺らす』の批評会に
パネルディスカッションの司会として参加しました。
パネラーの佐伯裕子さん(未来)、富田睦子さん(まひる野)、
真中朋久さんをはじめとして、
歌集の多面的な魅力を語りあう時間を
ご一緒させていただいた皆さんに感謝。
そして、作者の吉澤ゆう子さんにも
すばらしい歌との出会いを与えてくださり、
深くお礼申し上げます。

批評会のなかで何度かひかれていた歌で、私も好きな歌ですが

  チェロとなり木は樹でありし頃のこゑ聴かせてくれる吾と共にゐて

という作品があります。

かつて樹林のなかの一本であった木が切り出され、
その木が職人の手でチェロとなって、
いま声を聞かせてくれている。
そしてチェロを弾く私も、その木が樹であった時点からの
時間のふくらみを共有しているような、
そういうあたたかみのある歌だと思います。

余談ですが、この歌に出会ったときに思いだしたのが
いせひでこさんの絵本『チェロの木』。
主人公の少年のおじいさんが育てた森の木が、
チェロ職人の父親の手でチェロが作られる。
大きな森や木のあたたかさ、チェロの音色のあたたかさが、
主人公を含めてさまざま人の手を経て
過去から今へ、現在から未来へと伝えられていくような世界観があって、
これも大好きな絵本です。

(※ 吉澤さんの「吉」の表記は、正しくは下棒の長い字形です。)

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