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九十九里浜には左千夫の歌碑がある。文明の歌の初出は「短歌」昭和46年5月号なので、「二月二十八日」というのは、文明が左千夫の歌碑を訪れた日と考えて間違いないだろう。「二月二十八日九十九里」と数字がたくさん並ぶところが面白い。
歌碑に彫られているのは
  天地の四方の寄合を垣にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り
という一首。見渡す限りの空と海と砂浜が広がる九十九里浜で、玉のような石を拾っているといった内容だ。良い歌かどうか微妙な気もするが、「九十九里の浜」という言葉が入っているので、歌碑にするには都合が良いのだろう。
で、何が「偶然」なのかと言えば、この左千夫の歌も「二月二十八日」のものなのである。『左千夫歌集』を見ると、この一首を含む連作に「二月二十八日九十九里浜に遊びて」という題が付いている。
左千夫が弟子の胡桃沢勘内を連れて九十九里浜にやって来たのは、明治42年2月28日のこと。それから62年後の同じ日に、文明は同じ場所を訪れたというわけである。

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