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7月6日のブログに吉川さんが、20年前の「塔」には「良くも悪くも、潔癖な雰囲気があったわけですね」とコメントを寄せてくださった。
これは、当時の誌面を読んでいると、随所に感じられることである。例えば「塔」1991年11月号の誌面時評を少し引用してみよう。
 こうして、作品欄とはまた違った期待をもって「編集後記」を読んでいるのだが、時に少々がっかりさせられることがある。それはあまりにも個人的なお喋りに過ぎないものを読まされることである。ダイニングルームのある掘出し物のアパートに引っ越したとか、長かった髪をショートにしたとか、その外にも。アイドル歌手の消息に一喜一憂するような興味を、私は塔の人たちにもってはいない。誰かに興味をもち、ファンになるのはあくまで、その人のうたや文章を通してである。
荻野由紀子さんの文章だ。なかなか手厳しい。まさに潔癖である。
現在の「塔」の編集後記は、その頃よりもさらに一段とくだけたものになっている。それは20年という時代の移り変わりや「塔」の変化をよく示していて、別に悪いことだとは思わない。
ただ、かつて、こういう「潔癖な雰囲気」があったということも、どこかに忘れずに覚えておきたいとも思うのである。

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  • kenken より:

    何でガッカリするのか、全くもって理解できません。
    ちょっと変わった人ですね〜

  • 松村正直 より:

    ご自分が理解できないからと言って、相手を「変わった人」と決めつけるのはどうなのかなと思います。引用はあくまで誌面時評の一部であって、当然前後に文章が続いているわけです。まずは、全体の文章をきちんと読んでみてはいかがでしょうか?

  • さとうなみこ より:

     今の歌会からすると大いに雰囲気が違います。勉強会だと思っていましたから。時代なのでしょうね。歌会は生真面目でしたからひやひやハラハラしながら行っていました。こわい感じもするほどに生真面目。歌会のあとも和気藹々という感じではなくありがとうございました、と帰って来ました。もちろん歌会のあとに飲みにいくこともありませんでした。個人のつきあいを求めることがなかったです。東京歌会も少し前まではせいぜいコーヒーかあんみつを食べるくらいでした。ここ7、8年くらいでしょうか。私は飲めないせいもあって二次会には行かないのですが、あんみつのときには一緒に行っていました。それくらい頭も疲れる会でありました。歌会と結社に何をもとめるか、というのが大いに変化しているのでしょう。どちらが良いとも言えませんが、お友達感覚はなかったと思います。 下戸からいうとすぐ「飲み会」になるのは歌会ばかりではありませんね。人が集まれば、です。
    思い返すとすごいスピードで環境が変化していたのだと気づかされます。

  • kenken より:

    なるほど…よく分かりました(笑)
    私などは、二次会の雰囲気や、参加メンバーの人柄の良さが気に入って6年も続いています。
    良い結社に入会したと、認識しています。

  • おがわかずえ より:

    荻野由紀子さんの誌面時評、本当に潔癖ですね。
    松村さんが引用して下さった部分を読んだだけですが(そして荻野由紀子さんは直接は存じ上げないのですが)、きっと、短歌に対しても、塔に対しても、ものすごくストイックに向かっていた方なんだろうな、と想像します。
    そして、ほんの20年前は、塔全体がこういう雰囲気だったのですね。
    こういう雰囲気であったことは、確かに胸のどこかにおいておかないといけないような気がします。
    そして、今、自分がちょこちょこ書いている「編集後記」が、とても恥ずかしく思えてきます。
    (ましてや、どうでもいいフィギュアスケートの話など…)
    でも、会員が1000人を超えるまでになった現在では、どうしても「選者は、自分たちとは縁のない、偉い先生」「編集部は、自分とは遠く離れた存在」と思ってしまう人がいても不思議ではないので、そうではなくて、選者も編集部のメンバーも、「塔の会員」という点では対等なのだよ、という雰囲気を作る上では、現在のような編集後記のあり方も、悪くないのかな、という気もしています。
    選者でも編集部でもないのに、えらそうにすいません。
    (そして、これまで自分が書

  • おがわかずえ より:

    すいません、文章が最後途中で切れてしまいました。
    (そして、これまで自分が書いてきた「編集後記」を擁護するつもりではありません)
    と書きたかったのでした。

  • 松村正直 より:

    この20年で、「塔」という結社は大きく変ったわけですね。会員数が増えたことが一番大きな変化ですが、それに伴って、誌面にも全国大会にも様々な変化が起きています。
    会員の方々の意識も、結社に対する考え方も、結社に何を求めるかといったことも、大きく変ったように思います。それは、ここ数年でも驚くほどに変化しています。
    そうした変化を基本的には肯定しつつ、でも譲れない部分については、あるべき形をきちんと守っていく。そうしたことが、必要になっている気がします。(これは「編集後記」の話ではありませんよ。念のため)

  • さとう より:

     少し言葉が足りないと思うのでもう一度。私が塔で永田さんを先生と言ったら先輩に「塔では選者も主宰も同じ会員ですから先生とは言わないのです」と注意されました。そういうところは昔も今も変わりません。今のほうが親しみがあるわけではなくてこれが塔の伝統なのでしょう。
    荻野由紀子さんは50番地に行かれてもしかすると今も発行人かもしれません。2、3年くらいは塔の東京歌会にもいらしてました。50番地の方も三人くらい出ていらっしゃいましたね。
    まじめな方だけれど特に潔癖とは思いませんでしたよ。
    一度50番地の大会に出たことがあります。清原さんとも初めてそのときにお目にかかりました。初めておめにかかったのに塔の会員であるだけで懐かしがってくださいました。
     

  • kenken より:

    一連のコメントで「塔」の歴史を感じました。つくづく良い結社だと思いました。
    作歌、がんばります。

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