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現代歌人集会という歌人団体があります。創始者はみなさんご存知、高安国世…であるにも関わらず、数年前まで理事に塔の会員はほとんどいませんでした。最近は結構多い。

さて、その春季大会が7月16日(月)に奈良県で行われました。一年を二つに分けると、7月はまだ春だとのこと。150名以上の参加者があり、大盛況でした。タイトルは「万葉に遊ぶ」

面白かったのは内藤明さんの講演。やはり国文の大学教授だけあって、80分間、時に笑いもとりながら、話しつづけられました。

なかでも最も印象に残ったのが、昔は「奉和歌」という、掛け合いがあって(いわゆる相聞歌)、お互いに歌を詠み合っていた。

   大津皇子、石川郎女に贈りし御歌一首
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに (107)
   石川郎女、和(こた)へ奉(まつ)る歌一首
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを (108)

こんな例を引き合いに、昔は歌がもっと開かれていた、閉じていなかった、ということを強調しておられました。

そこでちょっと思ったことを。
歌は、ひいては文学は一人で悶々と創る、孤独な営為である、そんな風に思われている節がある。けど、それはけっこう最近のことじゃないかな。大岡信が『うたげと孤心』でも書いてるように、昔は「うたげ」で歌がうたわれていた。だから万葉集でも宴会の歌がやたらと多い。歌は個人が創るものじゃなく、場が創り出すもの、そんな意識があったんじゃないかな。だから「座」の文学とも言われる。明治以降に西洋文学が入って来て、そこで個人の才能でもって作られるのが「文学」だ、という風に移行する。

特に連歌や連句は一人では成り立たない詩型で、そこから派生した俳句なんてもう完全に一人だけの文学ではない。そんなことを思ったり。普段の歌会もどこかでそんな機能を果たしているように思う。

で、来月は全国大会!去年評判の良かった夜の勉強会(???)を今年もやります。今年はずばり「歌仙」、連句ですね。前置きが長くなりましたが、つまりはそういうことでした。

今年はオプショナルツアーに参加すれば僕の誕生日だったのですが、(主に金銭的な理由で)僕はオプショナルツアー不参加です。。。。

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