埋め草その4(松村)
1988年3月号から、澤辺元一「砂糖の話」。
昭和十八年春、私の入学した頃の神戸商業大学予科という学校の教授陣は、ちょっとした珍姓オンパレードの感があった。中でも朱牟田(夏雄)、堀米(庸三)、荻野目(博道)といった姓にはいまだ嘗ておめにかかったことはなかったし、生島(遼一)、赤塚(忠)、竹之下(林蔵)などというのも一癖ありげな苗字であった。二宮尊道という先生もおられた。私もラグビー部でお世話になったが、ある日転宅されることになり、皆で手伝いに行った。立派な仏壇を運び出している中に、うっかり位牌を一つ溝へ落としてしまった。これが何と御先祖の二宮尊徳先生の位牌であった。まるで嘘のような話である。(以下略)
この二宮尊道さんは、後に神戸大学の教授となった英文学者で、D.H.ロレンスやT.S.エリオットの研究者として知られているようだ。
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