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 このあいだの日曜日は再校作業でした。

 
 作業の行われる永田邸は岩倉というのどかな場所にあります。

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 四季折々の景色が美しく、いまは住宅がかなり建っていますが、私が通い始めた2001年ごろは田んぼがまだたくさんあって、いまよりものんびりしていました。

 そのころは出町柳でみなさんと待ち合わせをして叡山電車に乗り、岩倉駅から徒歩で20分ほどの道を歩いていました。 田んぼを泳いていく蛇を見かけたり、歩きながら植物の名前を教わったりしました。

 
 シャガ、ヨウシュヤマゴボウ、ヤマボウシ、蝋梅。 蘖(ひこばえ)、穭(ひつじ)なんていう言葉も岩倉の風景を見ながら教えてもらった言葉です。

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 いまはもう国際会館駅からタクシーを乗り合わせての往復になったので、そういうのんびりした時間はないのですが、いまから思うと暑かったり寒かったりしながら歩いたことは貴重な時間だったなぁと思います。

 
 きょう、道を歩いていて蝋梅の香りがして、「あ、蝋梅のにおい」と思ったらやっぱりすぐ角の家に蝋梅が咲いていました。

 短歌をしていなかったらずっと知らないままだったことはたくさんあるなぁと思ったことでした。
 
 

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  • 黒田長宏 より:

    「短歌をしていなかったらずっと知らないままだったことはたくさんあるな」という風に、何かをした事で、何かに入った事で、何かに通じて行ったと言う経過は経験されるのだと思う。仏教のような考え方にも門に入るという話があったかも知れない。

    今回の藤田さんの文章はそれを、風景や動植物の言葉や時間の経過などで実感されているが、そこには人との交流の推移もみられた事だろう。

    私の場合は、が私の書き癖のようになっているようだが、私の場合は、2年に渡り、さすがに終焉というか、決意の時期にさらされてきてはいるのだろうが、まだ継続中の妻との別居問題、離婚裁判を経験していなければ、つまり、「離婚裁判までの経緯を体験していなければずっと知らないままだったことはたくさんあるな」という思いがよぎった。

    離婚裁判というのは、離婚を考えている組の中でも100組に1組しか到達しないような稀少なケースである。その体験の途中で、辛い目に随分遭ったものだ。離婚させようとする破綻主義の動きがちらほらどころか露骨に垣間見られる所もあった。

    こうした、穏やかな情景ではない人間世界の現象の体験にさえも、「貴重な時間だったな」と思える日々がやってくれば良いと思っている。

    夫婦間の喜怒哀楽についても「塔」に於いても相当なエピソードと蓄積が為されているはずである。

    10首選抜の企画は最近終えたような気もするが、ほとんど全員の方々の人生の一時期の縮図に関心を持って通してみたのは、それに応募しようとした時だけだった。選んで推敲して編集までされている方々とは大きな違いが月々重なって行く。

  • 藤田千鶴 より:

    >こうした、穏やかな情景ではない人間世界の現象の体験にさえも、「貴重な時間だったな」と思える日々がやってくれば良いと思っている。

    ほんとうにそうですね。

    うちのパソコンデスクの左側に窓があって、細い蜜柑の木の影が映るのですが、きのうはじめてメジロが枝に来ているのに気が付きました。擦りガラスなのではっきりとは見えませんが、動きがかわいかったです。

    一度メジロを見かけると、メジロがいなくても枝がゆれるとメジロかなと思います。

    黒田さんに穏やかな日が訪れますように。

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