百葉箱2019年6月号 / 吉川 宏志
2019年6月号
後ろからはギターに見えたりいえあれはライフルを持つカラシニコフ像
佐原亜子
モスクワの旅で見た光景だろう。多くの人を殺傷した銃を開発した人が、カジュアルに讃えられている怖さ。「いえあれは」という口調が臨場感を生み出している。
この年は五色(いついろ)の黴見えほぼよろし粥占試人(かゆうらためしびと)の見たてによ
れば
樺島策子
粥に生えた黴で吉兆を占う神事があるらしい。事実をそのまま詠んだ歌だが、素材がおもしろく、目を引く一首になっている。
だんまりに被告席埋め資料繰る九電代理人三十二個の肘
篠原廣己
原発の再稼働をめぐる裁判か。ほとんど発言せず、組織の意のままに動く人々の姿。「肘」の描写や「だんまりに」の「に」が効いていて、人間性の不在が印象的だ。
しらじらしいコンビニの明かり避妊具と絆創膏の棚がおなじで
帷子つらね
下の句はよく見る場面だが、このように切り取ったとき、性の痛みのようなものが伝わってくる。「しらじらしい」はやや言い過ぎかもしれないが、小綺麗なものへの苛立ちが表れている。
代わりなら幾らでもいて赤々と脚入れかえてゆくフラミンゴ
中井スピカ
フラミンゴの大群を見て、〈唯一の生〉なんて幻想だと感じている。下の句の脚の描写がリアルで、それが上の句の思いに強い実感を与えている。
デラウエア小さき指に食みし子へ供へて鉦を二つ打ちたり
小川玲
幼くして亡くなった子どもなのだろう。食べていたときのことを思い出しながら、葡萄を供える悲しさ。結句の鉦の音に、回想を打ち切るような響きがある。
待つといふ温き感触たしかめて返しそびれてゐるペンしまふ
越智ひとみ
会うのを待つ時間は、高揚して、身が熱くなるような気分になる。しかし、ペンを返したら、その時間も終わるかもしれない。やや抽象的だが、微妙な心理をやわらかな文体で歌っていて印象的。
安達太良山の写真がとどく きみはいま私をすこし思い出してる
森雪子
メールで写真が送られてきたのだろう。写真自体より、自分を今、遠くで思ってくれていることが嬉しい。素直で暖かい恋の歌。
僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った
近江瞬
これもストレートで、胸に響く相聞だ。無理なんだけど、互いの人生を同一化したい、激しい思い。それが「盗み合う」という一語で鮮やかに表現されている。
シベリアの寒さに耐えし父なれば「脂が抜ける」と石鹸使わず
行正健志
過酷な収容所から生き延びたため、その後の人生も不思議な影を帯びることになった。いつまでも消えない父の不安感を静かに見つめ、余韻のある歌になっている。