百葉箱

百葉箱2024年5月号 / 吉川 宏志

2024年5月号

  朝、電車降りてスマホにメモをする キャベツ 夜に向かって生きる
                                 吉岡昌俊

 夜にキャベツを買うのを忘れないよう、メモするのだ。無機質な現代の生活が感じられる。
 
  友の背からのぞく女生徒に先生は前へ出て見よと原爆資料館
                             井木範子

 青蟬通信にも書いたが、無理に見せなくてもいいのでは、とも思う。考えさせられる一首。
 
  痒いから軟膏つけてと君の言う電気ショックの楕円の痕を
                            中野敦子

 「楕円」が印象的。蘇生後の身体を静かに見つめている。
 
  我が家への道案内に新しき斎場の場所加へて言へり
                         鵜原咲子

 淡々と歌いつつ、どきっとさせる歌。「加へて」がいい。
 
  歯ブラシのをくぐらせてTシャツに着替うればふっと若き日そよぐ
                                 しん子

 上の句の動作が洒落た感じで、青春期を思い出したのだろう。「そよぐ」という動詞が巧い。
 
  生きてなきゃ迎えられない誕生日水をたっぷりコップに満たす 
                              梅津浩子

 上の句は当たり前のことだが、当たり前の言葉に、人は救われることがあるように思う。
 
  影絵だと狐に映るか父の指事故にて残りし指二本半
                         倉谷節子

 痛ましい内容だが、影絵の狐に情感があり、心に残る。
 
  乗客の重みにたえず磨かるる鉄路のおもてに続く青空
                        入部英明

 レールに青空が映っているのを見ることがある。上の句の物の見方に独自性がある。
 
  自転車のカゴに揺られて混ざりたりドレッシングは砂利道を行く
                               増田美恵子

 歌にされにくい場面に注目し、ユーモアが生じている。擬人法だが、意外性があって楽しい。
 
  地震過ぎて記憶まばらな日々の中伊予水木の芽に明りをいただく
                               室木和美

 能登大地震の後の日々。「記憶まばら」に実感がある。
 
  注連縄を畑に焚けば積もりたる雪のへりより湯気たち初むる
                            清水久美子

 「雪の縁」がよく観察している表現。正月明けの静かな情景が目に浮かぶ。
 
  何も得ぬ派遣社員が手分けして年末賞与の明細配る
                         平田あおい

 正社員と派遣社員の格差を、鮮明に捉えている。
 
  陣痛も悪阻も経ずに孫ができる 男の側の身軽さに似て
                           由本慶子

 皮肉のこもった、しかしちょっと笑ってしまう歌。
 
  一匹の蜻蛉となりてとまりたし弥勒菩薩のしなやかなゆび
                            春野あおい

 シンプルなリズムで歌われ、発想が爽やかな一首だ。
 
  集金に来る人の減り出番なし上がり框に小さき座ぶとん
                           髙橋美津子

 こんな座ぶとんが昔あったなあ、と思う。具体的な物がよく生きていて、懐かしい歌。
 
  本広げ列に並んで待ちおれば上野千鶴子とペンに書かるる
                            畠山利一

 書店のサイン会を、意外な角度から歌う。人名に驚く。
 
  「行」の字を「様」に書き換え今月も介護利用票返送したり
                             福田正人

 上の句の細かな描写がよく、介護サービスを利用する日々が、リアルに見えてくる。
 
  ぶんぶんと手を振るあの子 三日月に手をぶつけないようにしてくれ
                                 西村鴻一

 誇張の歌だが、リズムに勢いがあり、恋情が瑞々しい。
 
  そばかすが腕にもあるねどうしても母に似ているわたしと妹
                             石田 犀

 母から逃れられない感覚が、口語の躍動感のある韻律で歌われている。そばかすが印象深い。
 
  セーターにたばこのにほひあなたとはいつも遠くで燃えてゐる森
                               藤田ゆき乃

 暗喩に艶のある情感があり、旧仮名も柔らかに響く。

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