百葉箱

百葉箱2023年10月号 / 吉川 宏志

2023年10月号

  夕やけに紛るることなく漁火は沖に並びて鋭く光る
                         杉崎康代

 「夕やけに紛るることなく」が、やはり実地に見ていることで生じた美しい表現であろう。
 
  バスのなか知らない人の体温を知ることになり、川へ眼をやる
                              一宮奈生

 よくある場面だが「知る」の使い方がユニーク。結句の外景への展開も巧みである。
 
  干さむとてむんずと掴む洗濯物 洗濯物も仲間を掴む
                          潔 ゆみこ

 下の句は擬人法だが、絡みつく力の強さに実感がある。
 
  捥いだだけ持つて帰れと叔父は言ふ籠に白枇杷のうぶ毛やはらか
                               長谷部和子

 「白枇杷」が印象的。叔父は衰えて、食べたり配ったりできなくなっているのだろう。
 
  鑿の跡続く地下より出でくれば坑夫も聞きしか青葉にハルゼミ
                              松塚みぎわ

 坑道を見学した様子がリアルに伝わる。掘った人々は蟬声を聞く余裕もなかっただろうと、内心では感じているのだと思う。
 
  五稜郭の濠のさざ波 時計回り反時計回りの合流点あり
                           金田和子

 事実だけを描いているが、五稜郭のスケールの大きさがよく出ている。おもしろい一首。
 
  足裏が大きく腹を横切ってぐぬり、ぐぬりと胎児が動く
                           魚谷真梨子

 妊娠中の身体感覚が鮮やかに表現されている。「横切って」という動詞が生きている。
 
  梅の実の柔き窪みに隠れゐる蔕もありたり取らずに漬けむ
                            篠原とし

 細部を丁寧に見ており、手触りのある一首になっている。
 
  父の訃は〈公報あいだ〉母のそは〈公報みまさか〉同じやうに載りし
                                 中村みどり

 英田あいだ郡が合併して美作市になったらしい。訃報は同じように載るが、時代の変化は感じざるを得ない。地名に味わいがある。
 
  「きょうりゅうがのどにいるの」とたずねたりヘルパンギーナと医師に言われて
                                  宮脇 泉

 子どもの言葉がかわいらしい。音の響きが楽しい歌。
 
  一つ一つ予定が終はつていくことが嬉し人生の終章にあれど
                             向井ゆき子

 予定が終わるたび死は近づくが、達成感は生じる。人の心理の不思議さに触れている歌。
 
  ひとがひとから生まるるを二回見き 雨後の林に苔は光りぬ
                             いわこし

 出産の立ち合いを二度したのだろう。静かな風景と思いが重なり、余韻の深い一首となった。
 
  パラソルをくるりと廻し日盛りを一本の芯のやうに歩めり
                            古賀公子

 「芯」という比喩が効いていて、爽やかな歌である。
 
  似てるけどあの子と違う黒猫に「いいね」を押した 一年経った
                               由本慶子

 一年前に飼い猫を亡くしたのだろう。ネットで似た黒猫を見ると、つい反応してしまう。現代的な歌い方だが寂しさが籠もる。
 
  稲妻のごときをきうに走らせる大き西瓜に梅雨が明けたり
                           浅野 馨

 西瓜の縞を稲妻にたとえる。「西瓜に」の「に」の使い方もおもしろく、印象鮮明な歌である。
 
  屠殺場を案内したる営業の汝のワイシャツの襟に血の染み 
                            橘 杢

 あまり経験することのない状況を簡明に描き、読者に強く迫ってくるものがある。
 
  あの細き川にも名あり氾濫するその時に知る実盛川と
                          吉田信宏

 非日常になり初めて見えてくるものがある。悲劇の武将・斎藤実盛と関係があるのだろうか。

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