百葉箱

百葉箱2022年12月号 / 吉川 宏志

2022年12月号

  人工授精と直腸検査の練習に牛の下半身だけのロボット
                           清水良郎

 ほぼ名詞だけで、余情を消している歌。生命を管理する畜産業の凄さに圧倒される。
 
  雲が秋を連れて来たりぬ鳥の声に目覚めてはるか空をのぞめば
                              福西直美

 空間の広がりを感じさせる爽やかな一首である。雲が秋を連れてくる、という表現が魅力的。
 
  明日から眼鏡は秋を映すだろう木々を小さく歪めながらも
                            大橋春人

 現代的な秋の情感をとらえ、小さな絵のような趣がある。「歪め」という動詞が効いている。
 
  空にある白き雲にも陰のありかげがつくれる雲のふくらみ
                            徳重龍弥

 語の繰り返しが多いが、それが逆に、「雲」や「陰」の立体的な存在感を生み出している。
 
  やわらかき地層のごとく取り出しぬグリーフケアの本三冊を
                             佐原亜子

 グリーフケアは、死の悲しみに打ちひしがれた人を支えること。過ぎてゆく時間を感じさせる比喩が美しい。
 
  連休もへったくれもない日常のへったくれの意味は今度調べる
                              田村龍平

 ふだんよく使うが、意味を考えたことない語はあるものだ。結句に思わず笑ってしまう。
 
  浴室の石鹸ふたつ小さきがオンブバッタのやうに張り付く
                            柳田主於美

 比喩がみごとに決まった歌。石鹸をよく観察している。
 
  もうわざと負けなくていいトランプの数字を重ねあう風の夜
                             中込有美

 子どもが成長し、わざと負ける必要がなくなったのだ。「数字を重ねあう」で場面が鮮明に見える。結句の「風の夜」もいい。
 
  墓っぽい場所なら心にもあって会いたいときに訪ねているよ
                             小松 岬

 「墓っぽい場所」というやや乱暴な言い方から、かえって喪失感がなまなましく伝わってくる。
 
  からっぽの水筒ひとつ飲み方を教わりし日のまだ遠くなく
                            魚谷真梨子

 保育園バスに閉じ込められた子の死を歌う。静かな歌い方だが、あまりにも短かった命を悼む思いが籠っている。

  歌ひつつゆく自転車は信号の手前に静かそしてまた声
                          児嶋きよみ

 赤信号で停まり、歌うのをやめた自転車の人が、青信号になりまた歌いつつ走り出す。省略が巧く、動きがおもしろい。
 
  夜を通しあれほど降りし雨上がり山から雲が剥がされてゆく
                             向日日向

 「剥がされてゆく」という動詞がよく、自然の力強い動きがいきいきと見えてくる。
 
  地図に見る蠣道かきだう 時津とぎつ 西彼杵にしそのぎ 故郷を出でし母のこゑする
                              竹尾由美子

 長崎の地名の並びが印象的。生前の母に読み方を教えてもらったのだろう。「とぎつ」などの濁音に、声の深さが感じられる。
 
  蟷螂のごとくバントの構えしてチャンスに挑む九番バッター  
                             三浦忠裕

 比喩がユニークで新鮮。ただ「チャンスに挑む」が慣用的な表現なのが惜しい。
 
  本にあるレシピを二倍する夜もあったいつかは半分になる
                            といじま

 四人家族のときもあったが、最後は一人になることを予感しているのだろう。知的な表現の中に寂しさがにじんでいる。

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