百葉箱

百葉箱2023年1月号 / 吉川 宏志

2023年1月号

  雨に濡れるガードレールの蝸牛かたつむりS字描きつつ藻を舐めており
                             今西秀樹

 丁寧な写実に惹かれる。「藻を舐めて」がなまなましい。
 
  花びらに溺れる蝶の着物着て祖母は遺影を撮りにでかける
                            はなきりんかげろう

 上の句の着物の描写に美しさと不穏さがあり、祖母の行為に彩りを与えている。
 
  繰り返し渇いた咳をするように紙風船打つ白髪の人
                         永久保英敏

 咳と紙風船を結びつけた比喩にハッとする。老いた人の哀感がおのずから伝わる。
 
  垂直に流れ出る水うけとめて壺はしだいに音よわめたり
                           加藤 紀

 蛇口から落ちる水が溜まってくると音が小さくなる。細かいところを鋭く捉えている。
 
  会へざればその死もおぼろゆふぐれの翳を吊るせるバナナスタンド
                                栗山洋子

 死の実感がないことをバナナスタンドという意外な物に重ね、不思議な印象を生み出した。
 
  仕事なく大久保通りひとり行く人はさびしいときがまともだ
                             小川節三

 下の句の断定に、説得力とほのかなユーモアがある。
 
  嘗つてここ杜氏の寝起きせし部屋と指さすかたの障子のくすみ
                              炭 陽子

 杜氏たちの生活の哀れさが、わずかな描写から見えてくる。
 
  大和橋は乾いたままだ通り雨はここまで足をのばせなかった
                             相本絢子

 口語のリズムが伸び伸びとしていて、空間の広がりが感じられる。橋の固有名詞も効果的。
 
  定型も字足らずもあり字余りも時々切れもある虫の声
                          水岩 瞳

 短歌のことと思わせて、虫の声だったというオチが鮮やか。
 
  なんとなく砂丘のごとき美濃焼のカップを夫が選びてくれぬ
                             渡部ハル

 「砂丘のごとき」で、カップの色や肌触りが伝わってくる。夫が自分をどう見ているか、まで想像させるようなところがある。
 
  鹿たちの嗜好変はりてこの五年睡蓮の茎ぶじでござんす
                           王藤内雅子

 笑ってしまうが、睡蓮と鹿の組み合わせは絵画的。
 
  通帳の場所を覚えておくことも介護のうちか香る木犀
                          神山倶生

 あまり気づかない角度から現実を照らし出し、深く納得させる。結句で情感が生じている。
 
  夕つ方海の匂ひのたつ日あり 古代のくがを海は恋ほしむ
                           友成佳世子

 人間が変えてしまう前の陸地を、海が懐かしむ、という発想のスケールが大きく、美しい。
 
  友だちの自転車の鍵「4949」で開いてしまつて夜明けはとほい
                                宮下一志

 死と苦につながる数字に、友人の闇を見てしまった感じだろうか。結句に不思議な味がある。
 
  奥まった校長室に向かいし日尖ったままの息子の足おと
                           増田美恵子

 反逆していた息子の様子を足音で表現し、臨場感がある。初句で学校の雰囲気が伝わる。
 
  窓枠に手を置きたればじっくりと全身の血が冷えてゆく秋
                            空岡邦昂

 窓枠は先に冷たくなる場所。「じっくりと」がよく、身体的に季節感を捉えている新鮮な歌。
 
  希望とは何をいうのか葡萄とはどう違うのか 声を聴かせて
                             高原五尺

 言葉に勢いがあり、読ませる一首。「葡萄」が印象的で、詩的な奥行きを生み出している。
 
  脇に挟むように蹄を膝にのせ装蹄師は鑢もて削る
                        井芹純子

 馬のひづめを削る仕事の様子を具体的に描き、題材のユニークさで迫ってくる歌。

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