百葉箱2022年9月号 / 吉川 宏志
2022年9月号
蝶々はセミナールームに入り来て画面のひかり浴びて去りたり
宗形 光
映写機でスクリーンに映しているのだろうと読んだ。そこを蝶が横切ると、不思議な光り方をする。シンプルだが印象鮮明。
戦場も美しく撮るしかなくてカメラマンは瓦礫に肘をつく
鈴木晴香
上の句にハッとさせられる。そして下の句の鋭い視線が、歌に深みを与えている。
「北海道でふねがおぼれているんでしょ」直さずに聞く遮らず聞く
岡本 潤
幼い子の言葉が、遊覧船事故の苦しみをなまなましく捉えていることに驚かされる。その言葉にまっすぐ向き合う姿勢が心に残る。
既視感のゆふやみにゐるわたくしはなんどもなんどもマスクを棄てる
澄田広枝
マスクを何度も捨てたため、同じ時間が繰り返されるような錯覚をしたのだろう。誰もが経験したことを独自の見方で歌う。
再採用の用紙を前に副校長 “三秒間の退職です” と
ホイラップ房子
契約上は一時退職ということになるのだろう。副校長の言葉がしゃれている。
幾千も揺れるセイヨウタンポポは茎の長さの分だけ浮いて
白澤真史
表現の工夫により、よく見る風景が新鮮に感じられる。
流れに逆らう楽しみ見つけおたまじゃくしらみな北を向く
鈴木初子
これも視点がユニークな歌。上の句が奇妙なリズムになっているが、意外に面白いのかも。
下駄などはもう履かぬのに下駄箱といふやうな夏 霰が降りて
臼井 均
同じ「夏」という語で呼んでいるが、過去の夏とは違っている、という気づきを、絶妙な比喩で表現しており、説得力がある。
影に蓮 靴に小石が入ったから少しだけ待っていて、あそこで
津隈もるく
口語のリズムが変わっていて、不思議な臨場感がある。初句の影絵のような雰囲気もいい。
シーソーの下に半分埋められしタイヤのやうな余生もいいか
本田 葵
具体的な物体と、心情がうまく結びつけられ、明快な歌。
実家には実家の時間が流れをりやかんの音のしゆぽしゆぽ鳴りぬ
中村成吾
たまに実家に帰ると、別な時間の流れを感じる。リフレインが効いている。擬音語も力強い。
ビルの放つ灯りが揺れる少年の瞳にカルキが滲みたみたいに
丘 光生
プールの塩素が目に沁みたことを大人になって思い出している。懐かしい切なさがある。
とけかけのバスロマン砕くのが好き繋がらなくてよかった電話
太代祐一
上の句の動作に幼いような孤独感があり、印象的。電話で話さなくて、むしろ良かったのだ、という寂しさも、胸に沁みる。
サクランボの片割れのよう会いたくて空見上げてる雨の日のせい
中島奈美
口語が自由に用いられ、いきいきとした心の動きが伝わる。サクランボの色彩感が豊かで、一人でいる哀しみが迫ってくる。
海もさあ、はじは一番しょっぱいのかなピザトースト焦げてる
中村雪生
これも口語の奔放さが楽しい歌。海も端が塩からいのか、という発想には度肝を抜かれた。結句もうまく日常に着地している。