百葉箱

百葉箱2025年5月号 / 吉川 宏志

2025年5月号

  真新しい切株ありぬ断面にマス目の傷を冬日に晒し  
                         黒木浩子

 しばしば見る光景を適確に描写し、痛々しさが伝わる。
 
  雀たちついばみゐるをひなたにてひなたの大臣おとどのごとくみてゐる
                               千村久仁子

 「ひなたの大臣おとど」が何とも面白い。閑雅なイメージ。旧仮名の柔らかさが効いている。
 
  ドアノブに胡桃ゆべしを提げし日よもう触るることなきドアノブよ
                                清田順子

 もう会えない人の存在を、ドアノブを通して描く。言葉を反復する歌の構成が印象的だ。
 
  翡は雄で翠は雌とうカワセミを今日は見たりき翠だと思う
                            加藤武朗

 「翡翠かわせみ」という漢語を上手く生かした美しい歌。
 
  米なければ糠を代わりに食いたりきそのあと口中痛かりしかな
                              西村美智子

 最近の米不足からの回想だろう。生々しい実感がある。
 
  うす暗き厨の棚にさがりゐし「米穀通帳」よく知らざりき
                            長谷川愛子

 これも米の歌。私も少し記憶がある。今はもうない光景を、くっきりと蘇らせている。
 
  遠近に元素智恵子のあそびいる川辺りをゆく冬のいちにち
                            三谷弘子

 『智恵子抄』か。死後も元素がこの世に残っていると感じた。「元素智恵子」がすごい語。
 
  「御自身が飲まれますか?」とくどだるしパブロンゴールド求むるのみに
                                  篠野 京

 薬局でしつこく確認される苛立ちを、凝った文体で表現し、独特のおもしろさが生じている。
 
  屋上でゆるく抱き合う僕たちに鈍色の空おしよせてくる
                           大林幸一郎

 世界の中で二人だけが孤立するような感覚を、臨場感豊かに描く。「ゆるく」がいい。
 
  乗り込めば「かしこまりました」と言ふやうにスピード上ぐるエスカレーター
                                  金田和子

 よくある場面をユニークな視点で捉え、新味が生じた。
  
  授業には笑顔で話す少年が無言で追い抜く靴裏は赤 
                         中村由美

 少年の別の面に触れたときの軽い衝撃。赤が印象的。
 
  DIORのオードパルファム説明に「腰より下にお付け下さい」
                               大西伸子

 事実を切り取った歌だが、妙に強いインパクトがある。
 
  欄干に橋の名あるゆゑ橋であるそれと分からぬほどの短かさ
                             岡田ゆり

 橋だと気づくと、風景に境界が生じる感じがする。ゆったりとしたリズムもこの歌の魅力。
 
  買い物とアルバイトとの中間かセルフレジにてかざす牛乳
                            竹内 亮

 最近の情景を「なるほど」と思わせる発想で捉えている。
 
  私とはちがうシャンプー私とはちがう身体のあるバスルーム
                             丸山恵子

 他者と暮らす戸惑いを率直な韻律で歌い、説得力がある。
 
  ご依頼をお断りする例文を検索しだした右手を止める
                          黒澤沙都子

 つい検索に頼ってしまうところに、現代的なリアリティーがある。結句に余韻がある。
 
  人と共に原爆浴びし弁当箱にぶき光に浮ぶでこぼこ
                         小谷淳子

 しばしば歌われる題材だが、鮮明に物が見えてくる。作者の心の痛みが静かに現れている。
 
  海のこと行き止まりだと思う人、その先へ行く券を持つ人
                            杜崎ひらく

 実景のようで象徴性も帯びた歌。諦めるかどうか、富裕層の特権など、色々考えさせる。
 
  半分が水で出来てるもの同士だから見たいねお互いの水底
                            わかば

 柔らかな口語に新鮮な発想を乗せて、心惹かれる歌である。
 
  「ずぼる」つて言つて分かるの地元だけ積もつた雪に足が埋まつた
                                広瀬亮子

 方言の響きには、その風土の身体感覚が詰まっている。

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