百葉箱2024年10月号 / 吉川 宏志
2024年10月号
引き出しに夫の時計を見つけたり動かぬ時計を日向ぼこさす
白井陽子
夫の遺品。素直な文体で、「日向ぼこ」に味わいがある。
冷蔵庫の棚を外して洗いゆく紙漉きのごと水を滑らせ
橋本恵美
確かにそんな手の動きをするなと感じさせる比喩が巧い。
病む君が大丈夫だと笑うから私はそれを真似るしかない
高松紗都子
病む人の笑いを真似ることで、相手の苦悩を自分にも引き寄せる感覚があるのではないか。
爽やかに緑が揺れる窓の外耳鳴りが葉音つくりておりぬ
ダンバー悦子
実際の葉音は聞こえないが、耳鳴りが補完するようだった。「つくりて」が効いている。
1㎏の鶏ムネ肉がエコバッグ越しにわたしの脚を冷やしぬ
田宮智美
即物的な歌で、肉の冷たさがなまなましく感じられる。
うぜーなと席を蹴立てて去る男のこされし人がわれに頭をさぐ
安永 明
場面が簡潔に切り取られ、ドラマのような面白さがある。
二センチの胎児が腹に棲むせいで梅干し茶漬けばかり食べてる
細尾真奈美
「棲むせいで」が良く、心理が実感的に伝わってくる。「梅干し茶漬け」の意外性がいい。
友のない子どもに校外学習のグループ分けとう時間の迫る
谷口 結
友のいない子に、グループ分けはつらい時間。「迫る」に、はらはらしつつ見守る感じがある。
着ぐるみの頭が取れて人間のような頭が世界に触れる
真栄城玄太
人間の頭のほうが異物のような感覚がある。「世界に触れる」で歌のスケールが広がった。
先週のままのパレット一滴の水を落として青よ目覚めよ
山口淳子
具体的な描写から、結句の命令形に飛ぶところが新鮮。
白米の上のふりかけ海苔けさはQRコードに見えてくるなり
大塚久子
QRコードを見ることが増え、感覚が麻痺してきたのだ。
あす明日とずらせてきたが刃物研ぎリズムに乗ればそれなりに快
田島キミエ
面倒で先延ばしにしていたが、やってみると意外に気持ちがいい。よく分かる感覚だ。
「急がば回れ」の「がば」で車のハンドルを力一杯切ってる感じ
西村鴻一
意外なところから音を抜き出すという発想がユニーク。
宣教師のやうな襟もつ青柿あり北側の雨ここに降りくる
櫻井ひろ子
上の句の比喩が楽しい。柿の蔕が、ザビエルなどの着ている服の襟に似ていたのだろう。
二階から杖の音すると友の妻間を置き笑みて「今のは風ね」
野村久雄
亡くなった友の家を訪問している場面。映画の一シーンのような寂しい会話である。
青空を時間貸ししてゐるごとくパーキング高く「空」を灯せり
森 純一
上の句の発想がよく、爽やかな色彩感がある歌。
遠くから呼ばれたような風が吹き梅雨の気配が濃くなりてゆく
小島順一
全体に広々としたリズム感があり、音韻が快い一首。
あなたから海を奪ふと決めたのにまだ灯台を壊せずにゐる
藤田ゆき乃
心象風景の歌だが、迫力のある歌い方に惹かれる。
給食の牛乳みたいな存在感 昨日言われた言葉が消えない
別府倫太郎
上の句の比喩に、はっとさせられる。なにげなく置かれた物を、実感的に捉えている。
指先を探検隊にして吾子がずつと探してゐるダンゴムシ
小金森まき
指が小さな探検隊になって歩き回っているという発想。じつに新鮮で、驚かされた歌。