百葉箱

百葉箱2025年4月号 / 吉川 宏志

2025年4月号

  新幹線デッキに立てば時折に客室ドア開くわれの揺らぎに   
                            永久保英敏

 私も経験があるが、歌になると思わないところをリアルに捉えている。結句が巧い。
 
  家の間ゆ国道のあかりひとつ見ゆこの灯ながめて五十年すぐ
                             相本絢子

 いつも見ているうちに半世紀が経ち、美も感じている。
 
  百六十億個くらいの眼球を載せてとろりと回る地球よ
                          大橋春人

 意外な発想に驚く。地球も一つの眼に見えてくる。
 
  かのときのくちづけふいによみがへり百齢体操舌回し焦る
                            河野純子

 浪漫的な歌い出しが意外なオチになり、笑ってしまう。
 
  すぐ傍に水を感じて長浜の夜は翼を閉ざすごと来る
                         中井スピカ

 長浜は琵琶湖の北のほとり。下の句の比喩も美しい。
 
  ひざ丈となった穭田ふゆの日に小さき実りを迎える穂あり
                            川述陽子

 稲刈りの後、また葉が伸び、穂をつけることがある。冬の侘しい情景だ。「ひざ丈」がいい。
 
  行きよりも濡れた分だけ重くなるプールバッグを肩にしずめて
                              高松紗都子

 泳いだ後、水着を入れたバッグが重くなる。「しずめて」という動詞に、身体感覚が出ている。
 
  手すりなど付ければ家が泣くんだよ臥してひと月父は逝きたり
                              赤岩邦子

 手すりをつけると家が傷むと思っていたのだろう。父の頑なさを寂しく思い返している。
 
  いつになく本殿ネットで囲まれて遠投賽銭禁止の表示
                          畠山利一

 初詣で硬貨が当たらないためだが、どこかユーモラス。
 
  はつ夏のニッコウキスゲの群生にTシャツの君は同期して立つ
                              塩田直也

 Tシャツも黄色でキスゲの花に近いのだろう。「同期」という最近の語で表現したのが面白い。
 
  出張は好きかと訊かれ空港は好きと答える夜のタクシー 
                           吉村のぞみ

 仕事よりも、夜の空港の美しさに惹かれるのだろう。
 
  初日の出は一瞬見れば十分で運転席の日除けを下ろす
                          仲原 佳

 長く見ても目が痛むだけだ。下の句の動作が格好良い。
 
  雪被るあれは谷川岳と聞く 義父ちちとこれから呼ぶべきひとに  
                             山桜桃えみ

 結婚前の挨拶に行ったのか。雪山の名を教えてもらい、人と心が近づいた感じがする。
 
  終身刑、死刑の歌人愛でる母「あなたも是非こんな風になつて」
                               林 陶子

 深く考えずに言っているのだろうが、苦笑してしまう。
 
  亡母ははのいた施設の前を通る度「帰りたい」とう声に呼ばるる
                              新城初枝

 「呼ばれる」という現在形が印象深い。声がまだなまなましく聞こえる感じがするのだ。
 
  真夜中のニュースの続きを夢で見る兵士の腕に妻の名のタトゥー
                               中森 舞

 夢で兵士の妻になっていたのか。不思議な悲劇性がある。
 
  「雪の降る音が聞こえる」奥鬼怒の運転手は言ふ降る直前に
                             宮本背水

 運転手が真っ先に雪の気配を感じ取っている。「奥鬼怒」という地名がよく効いている。
 
  産んだひと、産んだはなしで盛りあがる産めない腹に詰めた大福
                               石井しい

 出産の話題に入れない辛さ。大福を詰める、が印象的だ。
 
  洗うことと回ることは同じみたいだ。銀河を巡る星の洗濯機ランドリー
                             うえのげんき

 銀河の渦を洗濯機にたとえスケールが大きい。上の句の破調も、この歌には合っている。
 
  絵の中の龍は瞳を手に入れて涙を流す理由を知った
                         吉野夏雨

 「画竜点睛」から、別の物語を生み出した。龍は悲しみを初めて知っただろうと想像する。

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