百葉箱2025年10月号 / 吉川 宏志
2025年10月号
この人の泣く時をうばひし訪問か線香一箱おいて帰りぬ
佐藤涼子
自分が弔問したため、泣けなかったのではないかと気遣う。泣くことが癒しになると知っている。
夫の足がわれの足より細くなる勝った負けたと骨を並べて
橋本恵美
重病の夫を歌う。四句のユーモアから結句の無惨さへ。
息子住む富山へ死ににゆきし友位牌となりて戻りきたりつ
中林祥江
具体的な地名が印象的。淡々と歌いつつ哀感が深い。
面識なき人の葬儀に参列す遺族の一人に顔見せるため
安永 明
遺族との繋がりのための弔問。後ろめたさも感じている。
配給所に並ぶ人らを撃ちしとう小麦粉を手に握りし人を
神山倶生
ガザの報道を元にした歌だが、生きるために小麦粉を手にした人の死が、胸に突き刺さる。
幼子の手袋に恐竜の模様あり指の先まで指が届かず
中出佐和子
恐竜の模様が面白く、下の句も簡潔で実感のある表現。
腕組みが好きでよくする人前でこっそり自分を抱きしめられる
藤田エイミ
自己の行為の把握が内省的であり、発想も新鮮だ。
短冊の茶色を選ぶ児相の子お腹いっぱいカレーが食べたい
谷口 結
カレーとの関わりで、茶色を選んだのだろう。児童の貧困の問題にさりげなく触れた歌。
読んだあと新しさだけ残る詩を午睡の波が転がしている
高原五尺
新しさだけを求める表現への疑問。下の句も魅力的だ。
爪切りはとても小さくても刃物雷のなか刃物を握る
といじま
何でもない内容だが、刃物の秘めた危うさが伝わってくる。
買われれば新たに補充されていく硝子のむこうジュースも猫も
小谷 梅
ジュースも猫の命も、同じように商品として扱うことへの違和感。「硝子」がよく効いている。
人の骨の軽さを知りぬ被爆者を焼きし校庭に白く転がり
前田 豊
子どものころに体験した原爆。多くの命がたちまちに物体となってしまった衝撃と恐怖。
「どこにゐるの」ライン送れば「まだこの世」友の応へる 好きだな彼女
木原樹庵
死も意識する状況だが、ユーモアを忘れない友人。結句の口調に、軽妙な味わいがある。
湖が〈います〉ではなく〈あります〉と教へるわれは何者ならむ
染川ゆり
なぜ「湖がいます」は誤りなのか。分からないまま教えている自分を疑い、心が揺らぐ。
梅雨夜空ほのかに明るき一点は眺めいる間に月のかたちへ
林 貞子
時間の流れを感じさせる美しい描写。結句に余韻がある。
サイコロの振られるような昼下がり街はくもりに反して広い
瀬崎薄明
上の句の比喩に意外性があり、下の句も抽象画のような雰囲気がある。空間把握の面白さ。
広告あり沢蟹一匹五〇円ペットにも良し唐揚げも良し
和田 澄
店の様子をさまざまに想像させユニーク。初句切れも良い。
身のうちの細胞の戦語りつつ病舎のきみは琵琶法師に似て
尚のケリー
癌との戦いから平家物語を連想した。斬新な比喩に驚く。髪を失った人なのかもしれない。
雨粒かいや川の面のあめんばうあまた水輪の真中にひそむ
森住昌弘
上の句の屈折したリズムが巧み。アの音を繰り返し、水辺の情景を立体的に捉えている。
身縮めて子宮にありし手とあしのほどけたるまま吾子の寝姿
福谷さえ子
動詞の「ほどけたる」に、子の生命感が宿っている。