百葉箱2025年6月号 / 吉川 宏志
2025年6月号
ふっといま翳りてしまえばその後は誰も覚えていないひだまり
岩尾美加子
曇ると、日なたがあったことも忘れてしまう。光のはかなさをやわらかな言葉で捉える。
割り勘にあっさり君はうなずいて角を落した牡鹿となりぬ
冨田織江
以前は全部支払ってくれた男性。お金が減り、豪快さを失った様子をユニークな比喩で歌う。
つまるところ眠ればひとりという人のシーツを小春日和に干せり
ぱいんぐりん
一人で生きているのだ、と言う人のシーツを干してやっているところに皮肉がある。
かん電池使いおわったらマイナスのぶぶんが少しへんこんでるんだ
川村千晴
細かいところに注目し、かすかなさびしさも感じさせる。
上の子がこねくり回す赤ちゃんの髪から香るカレーせんべい
細尾真奈美
幼い子の様子をリアルに捉える。「カレーせんべい」の具体性が効いている。
ハンドルに足かけ寝てるドライバーさん靴下に穴開いてゐますよ
石川休塵
じっくり観察する眼が面白く、結句で笑ってしまう。
日は差してどの墓石にも北側に白く四角い雪の残れり
成瀬真澄
図形的な面白さがある。情景が目に浮かんでくる歌。
車椅子ごと積まれゆく妻の顔スモークの窓に仄かに見ゆる
福田正人
場面が映像的に描かれ、妻への労わりが静かににじむ。
上あごにオブラートのごと貼りついて衝撃はまだ涙にならず
藤森さと子
死を聞いたときの衝撃が、身体感覚のある比喩で捉えられ、強く印象に残る。
残光のあかるきなかに読みゆかむ急ぐにあらねど万葉巻三
坂東茂子
古典を読める時間の貴重さ。年齢意識も背後にあろう。
すぐそばのドトールで別れた戻らない折り目がついた紙みたいになる
森久保りりか
比喩が新鮮。軽い口調だが、痛みがひそんでいる。
成長がマトリョーシカのごと並ぶ人体展の胎児剥製
井芹純子
玩具にたとえることで、残酷さがきわだってくる。
ふくろうの声なつかしく窓開けて同じ夜風を部屋に迎える
仲町六絵
ふくろうと同じ風を体感している。柔和な韻律が快い。
奥山に赤乳と白乳
片山裕子
事実を簡潔に詠んだ歌だが、色彩と語の響きが印象深い。
雪竿の朱いしるしのきわだちて誰かの掻いてくれた道ゆく
浅井文人
積雪の中、道が分かるよう、赤い印を立てている。雪国の風土を、リアルに歌っている。
役職で呼ぶひともいてああそうか私のことかと立ちあがりたり
音羽 凜
「ああそうか」という口語が混じり、強い臨場感がある。
野尻湖に立ち上がる霧濃さを増し風と抱き合ひ水面を滑る
中村浩一郎
「抱き合ひ」が魅力的で、湖上の霧の神秘性が伝わる。
「合わせてね左は右に」不揃ひの眉頼み置く終
森田敦子
自分の死化粧を気に懸けている。上の句の会話の具体性がよく、なまなましさが加わる。
ひと家族、ふた家族ってかぞえられ、ひとりで家族と呼ばれてしまう
石井しい
一家族に一つずつ販売している場面か。一人暮らしの孤独感がふと浮かび上がったのだろう。
眠るとき文字が小さくなっていく擬音が遠のいていく雨音
今山いさな
ノートを取りながら眠気に襲われた場面だろう。眠りに落ちる感覚がよく表れている。「擬音」「雨音」の重複がやや惜しい。