百葉箱2024年9月号 / 吉川 宏志
2024年9月号
タケノコを茹でるときだけ使う鍋そんな男が二人ほどいる
王生令子
たまに役立つ男友達か。喩が斬新。すぱっとした面白さ。
こぼれ種が芽吹いていたり墓石の石のつなぎ目にも春が来て
田宮智美
細部をよく見ている。「石」を繰り返すリズムに味がある。
黒ずみし指の形を枇杷の実に残して梅雨に入りゆくなり
炭 陽子
枇杷に残る黒い指の跡に、やや不気味な色彩感がある。
椎の実をひろひたいひと 恩納村葬祭場の裏山にあるよ
与儀典子
沖縄の葬祭場を思い浮かべている。自分の死を意識したゆえだろうか。歌の口調が優しい。
ほうれい線あと二千回笑ったら出てくるのかな ざらざらの頰
逢坂みずき
若さを失う哀しみ。「二千回」という数字が絶妙である。
泳がせます見学させます保護者には使役動詞の選択つづく
矢澤麻子
たしかに保護者だと「……させます」をよく使う。言葉に支配されている感触を摑んでいる。
あなたとさえありのままでは居られない葉桜のごわついてゆく夏
保坂真寿美
「ごわついて」という動詞に葉の固さの実感があり、上の句の哀感と響き合っている。
バスが来るまで数えようあの枝が何度光と手をつなぐのか
吉原 真
枝が光と手をつなぐという発想が美しい。爽やかな一首。
白球と音がわずかにずれるから花火や父を思い出してる
杜崎ひらく
花火は光と音がずれる。父子の関係にもズレが生じやすい。野球観戦をしつつ連想する。
わたくしの一生の息の二秒分ふくみてしゃぼん玉は消えゆく
月下菜乃子
「二秒分」の具体的な数字が印象的で、儚さが伝わる。
中国のむかしの地図がおろし金みたいだ雲はそれで千切れる
松田康介
古地図の山の喩がユニーク。下の句に、地図と現実が融合するような不思議な感覚がある。
山峡の小さな滝は知られずに時間のなかへ落ちつづけたり
三浦 肇
人が見ない滝は、時間を超えて存在している感がある。
石段を友の手を借り肩を借りようやく叶いぬ裕子さんの墓参
寺田眞里乃
「借り」の繰り返しに、石段を上る体感が籠もる。
引揚の途次に亡くなりし妹らの「死亡届失期不處罰」の書ありき
森田忠臣
引揚船の中では死亡届も出せなかったのだ。事務的な書面を見つつ、悲しみと悔しさが滲む。
あとはもう風に乗るだけ野ねずみを捕らえた鳶がひとつ羽撃く
若山雅代
リズムに勢いがあり、鳶の飛翔の様子が目に浮かんでくる。
多数決はできないふたりの聴いている紅茶の碗の澄みきった音
竹内 亮
二人だと多数決ができないのは当然だが、いろいろと感じさせる力がある。下の句も印象深い。
風が風を匿う五月 学校はたくさんの時計が動く場所
空岡邦昂
「匿う」という語から詩的な魅力を引き出した歌。下の句にも学校生活の実感がある。
喪の服の塩をはらひぬ 甥を送り朝より小さくなりにし夫は
石丸よしえ
上の句の動作に、若い人を亡くした無念さが籠もる。
忘れ得ず父の最後の味噌汁がインスタントであったこと
YASUKO
字足らずがやや気になるが、ささいなことがいつまでも悔いになる心理はよく分かる。
こどもの日森の本屋が開店しまだ字が読めぬお客で賑わう
塩田直也
まだ字が読めない幼児が、本のイベントに来てくれる嬉しさ。森と本を愛する人の歌である。