百葉箱2025年1月号 / 吉川 宏志
2025年1月号
満月は高きへ移り部屋からは見えなくなりぬ今は眠らむ
丸山順司
作者の急な死の後に読むと、結句に強い象徴性が宿る。
雲のなかみづの粒子はひかり帯び をしへて、どんな気もちで叱つたか
小田桐 夕
かつて理不尽に叱られたことがあったのか。浮遊感のある韻律が独特で、冷やかな美がある。
楽しみはあとに残すが口癖の母の骨壺淡きふじいろ
北島邦夫
後に残されたのは骨壺だった。アイロニカルな悲しみ。
雪降れば防空頭巾で学校へ戦争はもう終はつてゐたが
井木範子
終戦後も空襲の怖さを思い出すことは多かったのだろう。
山裾は静かに海へ入りゆけり水中になお傾りつづくや
加藤武朗
海から聳え立つ山。スケールの大きな情景が目に浮かぶ。
ゆうやけに今年のとんぼは多いなとつぶやくひとの耳の透けゆく
三谷弘子
何げない会話から、夕暮れの風景の広がりが感じられ、「耳」がくっきりと見えてくる一首。
心電図が一直線に駆け出せり母のからだは置き去りにされ
丸山かなえ
魂が去り、身体が残されるという感覚がよく伝わる。上の句の表現に臨場感がある。
墓じまひ終へ宅急便に送られし遺骨には「土」と記されたるかな
内藤幸雄
「遺骨」と書くと運んでくれないのだ。ハッとした思いが強く伝わってくる。
蜜状の睡りと粗い砂状の睡りとがある 水ばかり飲む
帷子つらね
確かに質の違う睡眠があると思う。結句の転換もいい。
岩壁の遠き穴へと指いれて伸び上がるとき空光りたり
市居よね子
ロッククライミングの歌。身体感覚がある。結句で外界に転じ、空間の大きさが生じた。
「春晴れ」と「夏晴れ」のことばはなぜ無きや 授業ののちに暫く想ふ
青馬ゆず
「秋晴れ」「冬晴れ」はあるのに。授業中に気づいたというところにリアルさがある。
夕方のベンチを一つ膨らませ思い出になる今日からここが
瀬崎薄明
ベンチが膨らむという表現が新鮮。人と別れた後、忘れられない場所になったのだろう。
結婚前のように言いけり「送るよ」とエレベーターまで車椅子繰り
海野久美
病院に夫の見舞いに行った場面。若い日の記憶が切ない。
正解はもともとないのうつむいた桔梗に向かって話を聞いた
中島奈美
正解が分からず悩む人の姿を暗喩で捉え、印象深い。
積雲の影が峠を下りゆく 影には音のないということ
鈴木健示
下の句は当然なのだが、幻の音が響いてくる感じがする。
背と腹を合わせて眠る我ら二人スプーンを二枚重ねるごとく
バリボー道子
下の句の比喩が鮮やかで、ひそやかな静けさがある。
眼球に重力はあり海というなみだがうすくはりついている
日下踏子
眼球を地球に、涙を海に見立てた。発想が大胆で美しい。
すれ違う列車を二本待つホームの鶏頭のさき山霧動く
岡村圭子
赤い鶏頭の向こうを動く白い霧。色彩感があり、滞留したような時間を、繊細に捉えている。
終電で眠るあなたの真上にてモビールのごと吊革ゆれる
松浦やも
情景を縦長の映像のように描き、「あなた」を見つめる思いが静かに伝わってくる。
花に浮く顔を写して叱られる でもこれが最後のポートレート
桜庭紀子
棺の中の人を撮影したのだ。叱られても、その表情を残さずにはいられなかったのである。