百葉箱

百葉箱2025年2月号 / 吉川 宏志

2025年2月号

  五冊目のすべりゆく音ゆふぐれの返却ポストに掌を添へ聞きぬ
                              大河原陽子

 本が落ちる様子は見えないが、音で存在を確かめている。夕暮れの情感のある歌。
 
  雨降ってあらわれるのがみずたまり円と楕円とブランコの下
                             乙部真実

 図形的な把握が面白い。土の削れ方にも差が生じるのだ。
 
  金剛山へ行ってくるわと亡き妻の写真を胸に子は泣きにいく
                             西本照代

 親の前では泣けないのだろう。「金剛山」の地名が味わい深い。夫婦の思い出の地だったか。
 
  にのせるだけで師は言ふこの壺は底の厚みをまだ削れるよ
                             高阪謙次

 陶芸の師の凄さが伝わってくる。話し言葉が効いている。
 
  トンネルの中まで霧は入り来て背負子の人とすれ違いたり 
                            永久保英敏

 霧の描写が良く、映画のシーンのような緊張感がある。
 
  傷つけしことにぼんやり気づきたり雨降り分けるワイパー見つつ
                               中本久美子

 相手の反応を見て、後悔してしまう。つらい場面を、下の句でリアルに描き出している。
 
  この世には不在のわが猫わが胸にたしかにまだ在る 在るつて何だろ 
                           吉田京子
(※吉の字は土に口)
 死後も残る存在感。結句の素直な問いが心に沁みる。
 
  ジェットコースター肢体不自由児は断わられ心残りの階段降りる
                               日比野美重子

 どうしようもない状況に胸を衝かれる。階段を降りる動作に、深い思いが籠もっている。
 
  溜め息をひとつついても箸置きのパンダは箸を受け止めるだけ
                              朝野陽々

 可愛い物が、苦しい時にかえって心に刺さることがある。
 
  今祖父が亡くなりました、とZ会感想欄に書きし鉛筆
                          今井由美子

 受験期には、通信講座が最も心の支えになったりする。「鉛筆」の体言止めに余韻がある。
 
  ひむがしの月があまりに大きくて見てる我が目も大きくなりぬ
                              臼井裕之

 率直な表現により、月を見たときの体感が強く伝わる。
 
  祈りばかり上手くなってきた人生に それでも影は足とつながる
                               君村 類

 祈るだけで何もできない無力感。自分は地上に縛りつけられた存在なのだとも感じている。
 
  とうさんが長年勤めし造幣局戒名に入る「円」といふ文字
                            伊丹慶子

 一文字で一生を言い尽くされてしまったようで、その的確さに寂しさも感じている。
 
  なじみたる体のにほひ消え去りしこの白骨が今日からの父
                            白石明男

 遺骨を見たときの喪失感を簡潔に歌い、強く迫ってくる。
 
  2分間遅れて走るぼくたちの車からみる2分後の雲
                         山崎杜人

 シンプルだが、別の時間を生きる不思議さを感じさせる。
 
  弔問の列は路地からはみだして奴の通いし煙草屋前まで
                           松本淳一

 昔ながらの生を送っていた友が、多くの人に慕われていた様子が、情景から伝わってくる。
 
  断乳し腫れた乳房を揉みほぐす湯船の中に白き花散る
                          宮本 華

 なまなましい場面だが、結句の比喩が美しく、印象に残る。
 
  夕風に竹は竹へとつぎつぎに秋の終わるを伝えておりぬ
                           中澤三千男

 言葉の流れがしなやかで美しく、竹林の揺らぎが目に見えてくるような一首である。
 
  この部屋で君に抱かれる時間だけ夜と呼ぶから夜はもう来ぬ
                             わかば

 「よる」と「夜」の差異が印象的。「君」との関係性を、さまざまに考えさせる歌である。
 
  帰国する留学生がお辞儀する搭乗口を通ってからも
                         塩田直也

 場面だけを鮮明に切り取り、味わいのある一首となった。

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