百葉箱2024年11月号 / 吉川 宏志
2024年11月号
曼荼羅からこぼれた粉もまた国宝 小さな紙に包まれている
高松紗都子
簡潔に描写し、事実の面白さが伝わってくる。
曇天をきのふと同じ道をゆくけふ出会ひしは猫と救急車
江原幹子
何でもない場面だが、結句の組み合わせがユニーク。初句の「を」も効いている。
見開いたナワリヌイ氏の灰色の眸は世界に貼りついたまま
祐德美惠子
極北の地に収監されたロシアの政治活動家。「世界に貼りついた」に死の生々しさがある。
にわとりも熱中症になると聞き冷たい水に二度替える午後
小山美保子
猛暑に鶏を飼う気苦労がリアルに感じられる。
有定橋まわれば歩数は五千歩であとは日陰の下道あるく
林 都紀恵
「有定橋」の名が良い。夏の道を健康のために歩くしんどさがよく分かる歌。
奉納と書かれし柄杓に手を漱ぐ札所の朝が整うまえに
山本建男
朝に参拝する清々しさ。「整う」の動詞に味わいがある。
ヒラメ筋、腓腹筋は見あたらずもう走らない夫の両足
大森千里
マラソンをやめた夫の筋肉量が減る寂しさ。「ヒラメ筋」という名詞が印象的。
麻痺の手に名のみ書かされ飾られし母の短冊今も忘れず
篠原とし
七夕だろう。名前だけ書かされるという状況が切ない。
流灯は水の意のまま流れゆくぶつかり合へばわづかに傾ぐ
小平厚子
下の句の観察眼が優れ、流灯の儚さが目に見えるよう。
柔らかく両手を拘束されている チューブを抜くからだめなの父さん
片山裕子
上の句の描写から、父に呼びかける口調に転調し、切ない一首になっている。
桃色を見てしまいたり口を開けぼんやりとしている夏鴉
松本志李
色彩感が強く迫る。秘密をのぞき見したような感覚。
集まりて体操をする老い人の跳躍のあし地から離れず
伊丹慶子
下の句、よく見ている。淡々とした歌だが、哀感がある。
ビー玉のやうに芝生に散らばつてラジオ体操の輪に犬もゐる
岡本 妙
これも体操の歌だが、比喩が明るく、結句もかわいらしい。
〈死は存在しない〉の読書会を終え夕光の射す石段降りる
上杉憲一
田坂広志の著作。書名と情景の組み合わせがいい。上の句の句またがりで屈折感も出ている。
治部煮とろり犀川ほとりに呑む酒よいきなりとなりにジュリーの座る
今井裕幸
沢田研二が偶然隣に座ったという驚きを歌う。上の句の具体性がリアルさを生み出している。
研究せし地層も今は菓子となり「地層切断面バウムクーヘン」
青垣美和
伊豆大島らしい。これも事実のユニークさに惹かれる。
お土産をパズルのごとく押し込んで角がへこんだ「青柳ういろう」
玉眞味和
名古屋の菓子。細部に注目し、旅の臨場感が生じた。
まちは朝を待った、わたしも待っていた 断たれるための首をかかえて
夏机
朝、つまり未来に対する絶望感が、切れ切れの独特のリズムで歌われ、印象に残る。
海は少し死の匂いする もう一度あなたを不死に産んであげる
潮 未咲
女神の言葉のような、不思議な歌である。結句の字足らずが、奇妙な印象を強めている。
食べものを断頭台に送るのもバイトの仕事、さあはじめよう
山岡すべり
コンビニの食品廃棄を歌う。「断頭台」により詩の世界に転換された。結句の口語もいい。