百葉箱2023年11月号 / 吉川 宏志
2023年11月号
夏空をのどかに見せる雲ひとつしばし目に追ふ母の墓所にて
千名民時
猛暑で本当は「のどか」どころではないのだが、一つの雲で空の表情は変わるのである。
知ってるか金線二本が駅長の一本なるが助役の帽子
石飛誠一
知識だけの歌だが、初句が面白く、引き込まれる。
半とじのいそぎんちゃくよりはみ出した魚のしっぽがふるふる動く
松浦わか子
「半とじ」という語でリアルな怖さが生じている。
このからだ雨にあずけてねむりたい雨葬と呼ばれるものがあるなら
中田明子
「雨葬」という造語が魅力的で、リズムもやわらか。
霧のなか韓国みえねただ白く海栗島の見ゆ基地の島とぞ
伊藤京子
対馬にある島。見えるもの、見えないものが対比され、軍事の不可視へと思いは及ぶ。
絣織りの音がそろばんの音に似て「そろばん踊り」となつたげなげな
樺島策子
結句の「げなげな」で祭りの楽しい雰囲気が伝わる。
川幅がこころの幅となりてゆくたゆとう加古川車窓の夕ぐれ
古林保子
上の句が魅力的で、ゆったりとしたリズムが快い。
Cの字に上下左右の向きあれど連続の無き視力検査表
大槻一郎
確かに同じ向きは連続しない。細かいが、ふだんとは別の視点で見えてくる面白さがある。
すがりつく水脱ぎ捨てて這ひ上がりわが身の重さふたたび纏ふ
伊丹慶子
プールから上がり、いつもの体重の感覚が戻る。「纏ふ」という動詞で的確に捉えている。
感情を目にのみ溜めて居室へと押されゆく母の背
小野まなび
施設で母と面会し、別れる場面だろう。言葉が出ない母の様子が、上の句でリアルに伝わる。
失点を重ねた球児を追いかけるカメラの視点はわれのものにあらず
鎌田一郎
自分は見たくないのにテレビでずっと映される。気づきにくい違和感を、端的に歌っている。
体重が増えれば僕の割合が世界でちょっと増えてるワケで
白浜晃一
とぼけたような口調が楽しく、笑ってしまう一首。
Googleが十年前の今日として教えてくれるはずの手花火
榎本ユミ
ネットが発達し、未来から今がどう見られるか、ということまで意識にのぼるようになった。重要な視点のある歌だと思う。
亡き夫の風鈴守
飯島由利子
風鈴を夫の霊が鳴らしているように感じる寂しさ。「風鈴守」という語が美しい。
水子つて?吾に訊かれて母言ひき「幸ちやんはさう弟なんよ」
内藤幸雄
母の言葉が哀しく、いつまでも耳に残っているのだ。
北斎に「閉じてはならぬ」と言われたか春画にひらくほそいほそい双眸
竹垣なほ志
上の句の空想にハッとさせられる。「ほそいほそい」に浮世絵の女の感じがよく出ている。
姉の絵は茶の間に長く貼られたり卓袱台の記憶絵よりもらいて
松村豊子
絵が残ることで、無くなったものが思い出される「絵よりもらいて」が印象的な表現。
温泉に行くとき指輪はずしてて指まで裸になった気分
田中恭子
直観的な思いが率直な口調で歌われ、とても実感がある。
麦わらの網目は荒く両頬にぽつぽつ落ちた明るい日差し
初夏みどり
ビニールの傘袋の先ひかりゐる雨のたまりを夕陽にかざす
則本篤男
初夏みどり作品・則本篤男作品どちらも視覚的な観察が丁寧で、季節の情感がみずみずしく伝わってくる。