百葉箱

百葉箱2023年2月号 / 吉川 宏志

2023年2月号

 煮え花とう花のあるのを知りし夜は米の煮え花しみじみと食む
                             ジャッシーいく子

 「煮え花」は沸騰した直後のことだそうだ。粥を煮ている場面だろうか。「しみじみ」はやや言い過ぎだが、言葉がよく生きている歌である。
 
  風が吹く 穂のあるいろんな植物が川を見えなくして秋が来る
                              上澄 眠

 よく見る風景だが「植物が川を見えなくして」という、やや抽象化した表現により、不思議な味わいが生じている。
 
  流されし小屋の農具のあらはなり数多の木箱日にかわきゆく
                             首藤よしえ

 事実を淡々と描き、水害の後の惨状と、陽射しの明るさが目に浮かぶようである。
 
  忠良の乙女の裸像に時雨降り顎の先より滴したたる
                         村﨑 京

 彫刻家の佐藤忠良。「顎の先」まで注目した細かな描写で、臨場感が出ている。
 
  地平という遠さを持たぬこの町の月は姫神山に沈みぬ
                          三浦こうこ

 山が多い風景を「遠さを持たぬ」と捉えた表現が鮮やか。山の固有名詞も美しい。
 
  語り部は必ずそこでしのび泣く「トマトの湯剥きできないんです」
                                藤原 學

 原爆の被害を目撃した記憶のため、湯剥きができなくなったという言葉がなまなましい。ただ、繰り返し語るという行為の難しさも作者は意識している。
 
  生検の結果待つ日々わが胸はスノードームのようにしずもる
                             松本志李

 乳がんの検査であろう。模型のドームの中に積もってゆく雪片が、心の揺れを感じさせる。
 
  石塀で周囲を囲ふ村の墓地塀の外に墓ひとつあり
                        石川 啓

 外側にある墓は誰のものなのだろう。四句目は字足らずだが、空虚感が出たとも言える。
 
  日陰よりさむい日向を見つけたと遠足帰りの息子が言えり
                            竹田伊波礼

 日なたのほうが風が強く、寒く感じることもある。観察力が光る言葉を見逃さなかった。
 
  海はただ包み込むだけアメフラシ溶け合うように交尾している
                              王生令子

 生命のどろどろとした混沌を捉え、強い触感のある歌。
 
  くちびるをイノダのカップに浅くつけ誰も待たない時間を過ごす
                               朝日みさ

 イノダは京都の古いコーヒーチェーン店。「浅く」が巧い。下の句にも洒落た情感がある。
 
  溜池の水の抜かるる晩秋を鴨は水面をすれすれに飛ぶ
                          竹内多美子

 さらりと歌われているが、微妙な高低が描かれ、立体感のある風景が見えてくる一首。
 
  まなかいにささったままの一行詩 次の晩には樹になるだろう
                              日下踏子

 選歌後記にも引かれているが、発想がユニークで、口語のリズムが伸び伸びとしており、ぜひ取り上げたい歌。鮮烈な「一行詩」に出遇うことで、思いが成長していくことを詠んでいるのだろう。
 
  新しい月のひかりをこおろぎの壊れた音が登ろうとする
                           高原五尺

 不思議な歌だが、絵画的でもあり、伝わってくるものがある。「壊れた音」に、ある悲傷性が込められている。

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