百葉箱2023年5月号 / 吉川 宏志
2023年5月号
とろみある水の小舟に乗せられて薬は母の喉くだりゆく
一宮奈生
母の介護の場面だろうが、やわらかな比喩が用いられることで、詩として別の世界を生み出している。
裸木のうちにと切られし栗の木の残す空間夕日が赤い
西本照代
木が切られた後も、木の存在は残る感じがする。「裸木のうちに」という言葉に、人間の残酷さがこもっている。
壁いちめん帽子のねむる店を出て窓あらざりしと気づきておりぬ
永田聖子
後になって空間の不思議さに気づくことは意外に多いのではないか。心惹かれる歌である。
煮えたかどうかたしかめるため食ふ豆の味なきことも旨しまた食ふ
小林真代
うねるリズムがこの歌の生命。食べる楽しさが伝わる。
みずうみを靡く風紋みていたり ひかり丸めたように水鳥
澤端節子
下の句の比喩に独自性があり、造形的な美しさがある。
献香に選ばれた子のその歩み選ばれなかった子らが見守る
吉田 典
ある児童が友人代表で焼香したのだ。他に焼香したかった子もいただろうが、できない。悲しみの中の心の揺らぎを歌っている。
夕べより絶えることなし小米雪わが心音に添ふやうに降る
瀧本倫子
「小米雪」という語が美しい。雪が心音のようなリズムで降ってくるという把握も魅力的。
辞めよかなを二時間聴いて赤提灯 辞めなよはたぶん正解じゃない
淵脇千絵
相手の引き留めてほしい思いを感じている。リアルな苦しさが、音の響きからも伝わる。
ひらがなを読めねば視力測れぬと最初に行きし眼科冷たし
山﨑惠美子
幼い子だと正確に検査できないと言われたのだ。簡明な表現の中に、静かな怒りがこもる。
われよりも黒き髪もつなまはげの毛先にとまる粉雪か灰
青海ふゆ
細部に注目し、なまなましさが生じている。結句の白さで髪の黒さがさらに引き立つ。
田植え機につみこむ苗をぬすんでは幼児だけの田んぼにうえる
キナコモチコ
このような遊びはよくしていた。懐かしく、どきどきする場面が目に浮かぶ。
窓口に手のひらほどの肉池ありまんなか辺は毛羽立ちており
行正健志
朱肉のことだが、「肉池」という語は強烈な印象を与える。下の句の観察眼もじつに鋭い。
あらすぢを追ふのみに読む夜の闇に椿をすべり落ちる雪の音
石田和子
本の世界に入り込めない読書。下の句の美しい描写と重なり、どこか孤独感がにじむ。
つかの間のかたまりにして家族なりドレッシングの瓶行き来して
高橋ひろ子
家族という単位のもろさを知りつつ、にぎやかな食事を楽しむ。下の句に臨場感がある。
国道を救急車行く運ぶのは生きたい人か死にたい人か
橘 杢
シンプルだが、どきっとさせられる歌。現代の生き難さがやはり背景にある一首だろう。
星座早見盤まわして蠍座を青き夜空に歩ませている
山崎杜人
星座早見盤を動かす様子が適確に捉えられている。上の句の句またがりが読みづらい。初句を「早見盤」にしてもいいかも。